故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦
愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。
平成18年 年度当初挨拶
いよいよ淡路市も2年目に入りました。継続と融和の準備段階から、資産の見直しと再整備の実務の段階に入ります。これからの淡路市を占う意味でも最重要の年度になります。
そのために、組織整備と、市行政としての一体感を図るための人事をしました。いずれも、過渡期を意識しての短期、緊急対応です。
次年度、3年目にはそれまでの検証と実行という事になります。
私達には、時間が有るようで有りません。財政的視点からだけで言いますと、本市の歳入の根幹をなすのは交付税であり、合併算定替えにより全額保証されるのが10年間であります。
10年という期間は既に1年を経過したわけです。9年有るというより9年しかないと思う方が賢明です。
ともか10年後、どういった形でこの淡路市を次世代に託す事が出来るか、その一点が最重要課題なのです。
事の是非は別にして、淡路島3市時代の過渡期にあって、せめて他の2市の足を引っ張るような事がないような行政としての形をつくらなければなりません。
地形のハンディーキャップは、決定的な障害になる恐れが有ります。それらを乗り越えるためには、この合併しか市が目的であってはならず、手段として将来のために効率よく稼働させなければならないのです。
日本全体が二極化を加速化させる現代において、淡路市がどう有らなければならないかを、私達は行政の立場から考えなければなりません。
例えば、公共投資に批判的な人がいますが、将来を見据えたそれら投資は、短期的な視点で評価してはならないのです。それと同じ事で、経常経費の削減も中長期的な見通しの中でしていかなければなりません。
地域限定のしがらみ、自分の利益のための行為、それらを今は乗り越えなければならないのです。
年度当初に当り、心構えとして3点、提案します。

一つは、住民の目線に立ち、官僚主義を打破する事です。
官僚主義が全て悪いとは思いません。しかし、「訓練された無能力」と言われる、官僚制組織に見られる硬直化した行動様式や意識、尊大かつ横柄な態度、専横(我が侭、横暴)法規万能主義の形式主義、秘密主義、事なかれ主義、そして非能率といったイメージは、払拭しなければなりません。
また、集団内部で自分の属する部門に立て龍って排他的になるセクショナリズムの傾向、権威主義、特権意識、縄張り根性、派閥主義、セクト主義、これら要らぬしがらみも断ち切る必要があります。
そして、仕事をするに当たって、厳しい局面で庇いあう、下からの改革案が少ない、何でも文書で欲しがる、減点主義的な傾向が残っていると言った前例踏襲主義も見直さなければなりません。
現代は、日本の戦後の成長を支えてきた官僚のあり方が問われているのです。価値観は多様化し、前例だけでは参考にならなくなって来ています。これからは、個々人がそれぞれの考え方を確立し、どのような事案にでも自然体で対応出来る組織を再編成しなければならないのです。
平気で嘘をつく、自分の利益を優先するといった傾向は、日本の文化でもあった恥の概念が喪失している事を意味し、新しい行動指針も必要としています。
私達、淡路市の行政の行動指針は、過渡期の動乱期を認識し、個々人の能力を最大限引き出し、責任に黄づいた日々の実行と、絶えず説明責任を意識し、毎日変化を覚悟する姿勢が求められています。

二つは、過渡期を意識した意識改革です。
あってはならない、職員の事件なども起きていますが、今は、間違ったしがらみを断ち切って、新たな領域に踏み出さなければなりません。
刑事訴訟法第239条に公務員の告発の義務がうたわれています。
一般の民間人は、告発することができます。しかし、公務員は告発しなければならない義務があります。
アメリカ合衆国のケーシー・ルードは、誇り高き内部告発者として裏切りは社会の支えという信念で、「内部告発は、強く健全な社会を作るのに欠かせない」と、同僚の離反、誹誇中傷、昇給停止、雇用契約打ち切り、そして、最後には脅迫、そんな事に嫌気がさして妻から離婚されながらも活動を続けたという人です。
アメリカは、主張する人々が作っていく国といわれているように支援する人も多いわけですが、仲間を売ることが恥としてきた価値観を持つ日本人には、理解のしにくい世界であったはずなのですが、最近はそれでは駄目なようです。
何よりも、公務員の責務は、住民サービスであり、その観点から、三つの責任
●適切な対応(リスポンスビリティー)とは、接遇に留意すること。
●情報開示(ディスクロージャー)とは、原則情報は公開であること。
●説明責任(アカウンタビリティー)とは、内部にだけ通用する理屈は不可であること。
これらを肝に銘じる、意識改革が必要です。決して傲ることなく、謙虚に、丁寧な行政執行に務める意識を持ちましょう。

三つ目は、淡路市の地域づくりについてです。
地形的な特徴から、淡路市はミニ淡路島、東北地方に類似していると言われています。
所謂、津名郡は一つと言うより、一つずつ、と言う表現が正鵠を得ている訳です。そういう状況の中で、融和という作業を効率的に行う為には、どういった手法が有効かと言うことを考えなければなりません。
まず創世期としては、行政主導という方法を取らざるを得ないと思います。勿論、民意を無視すると言う事ではありません。状況、情報を的確に把握し、冷静な判断を基に、一番優れたと思われるものを選択していく。断固たる決意と揺るぎない実行力で、痛みを自己責任として共有しながら、地域を纏める。合併後の最初の十年は、正直、時の市長は、ボランティアの精神に徹しなければならないのです。
そして、最重要の視点は、財政の健全化です。偏向せずに、中長期に亘る計画性を大事にしながら、取りあえずは、短期、5から10年の動向を具体的に検討し、地域住民にも理解出来得る、財政健全化計画を策定し、実行しなければなりません。
それには、それに堪え得る組織と人的ストックの構築が急がれます。
また、その手法と目的達成の為の最低条件は、地域の共感づくりです。共感を積み重ねていきながら、最後に信頼関係を作り上げる事を目的とした、場作りの仕掛けが今、必要とされています。
コミュニケーションの場作りを、どういう風にするか。その目的は、やはり地域住民の安全安心の確保。所謂、危機管理体制と言う事で共感づくりをするのが、分かり易いのではないだろうかと思います。
又、その為に、リーダーの育成も不可欠です。その要件としては、柔軟で、多様な視点を持った人材で、しかも一過性のものでは無く、継続していく力も重要であり、それらがうまくミックスされた時に、真の意味での地域のリーダーとしての出発点に立つ事が出来るわけです。取りあえずその役を皆さん方に最低限、気持ちだけでも担ってもらわなければなりません。
一つの要素として、今は、地域とのしがらみを断つ必要があります。日産自動車を再建したカルロス・ゴーン社長には奇策は無かったと言われています。やるべき事を実行しただけで、しかも、外国人でしがらみを持たず、過去の経営責任も無かった事が良かったと言われています。
公開の場での議論を通じて、間違った過去を払しょくし、元に戻す勇気を行政の英知として活用して欲しいのです。
新市が目指すものは、地味ではありますが
① 住民の安全安心な環境作りを根幹として、
② 魅力ある地域作りを夢として、
③ 健全財政の構築を旨としましょう。
そしてまず、この4年間は、
1年目 引き継ぎと問題点の整理の視点から→継続と融和
2年目 集約と問題点の解決のため――――→資産の見直しと再整備
3年目 一応の成果の公表を期すために――――→検証と実行
4年目 新市としての活動と新市二期目の課題整理
といった大枠に整理されると思います。
こうしたフレームの中で、取りあえずは、南あわじ市と新洲本市を追い越す事は、難しいとしても追いつく状況と環境を創出し、二市に迷惑をかける事のないようにしなければ、なりません。
これらの事が、時代の流れとして、淡路島が一市になる時の淡路市が本当の意味で対等に連携する最小の条件になります。
これは、津名郡という地域に生まれた者の運命として、次の世代に引き継ぐ事の責務でもあります。
最後に、日経新聞の「淡路市市民一人当り負債日本一」の記事を待つまでもなく、厳然たる事実を提示し、皆さんの覚悟に期待したいと思います。
同様な人口規模の各市との一般会計の比較です。
・淡路市 306億 ・西脇市 161億 ・赤穂市 194億
・洲本市 171億 ・小野市 190億 ・篠山市 216億
・南あわじ市 267億 ・加西市 184億 高砂市 286億
(人口9万5千人)
平成18年4月3日
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初代淡路市長になって思う事
絶えず「自分でいいのか?」と問い続けてきました。島内3市長、3県会議員の中で、無名で地元の名士でないのは私だけ。
しかし、今の状況だからこそ、自分でなければと確信しています。
合併した市としては、ハンディーキャップが、多く深過ぎると思います。しかし、その分たけ、可能性は大きい。
今後は、市民に分かり易い行政の展開を目指します。

1 市長になっての印象
(1)5万人に話し、1人で聞く。
①相手に正確に伝える事の難しさ。
自分で勝手に判断せずに、丁寧に繰り返し情報を伝える。
人の言う事を聞いていない相手に、どうすれば理解されるかの工夫と実行。
(分かり易い資料、ホームページ、メディアなどの活用など)
②花の事は花に聞け。
理解しようという姿勢で相手に接する事。
何か一つ、参考になる事を探す姿勢。
聞いた事に早く対応する。
(2)出勤簿の無い事の再認識。
17年度、休みは3日。
(3)良いも悪いも、市長は標的。
単純なストレス解消の相手にはなるが、病的虚構、虚偽、恣意的私利私欲
私怨のために利用されるのは勘弁ならない。
合併過渡期の今の状況だから選挙に出た。覚悟の上である。
2 合併後
(1)三市の役割。
①洲本市は、一市十町のりリーダーとしての、知力、人脈が資産。
②南あわじ市は、恵まれた地形等を活かした、地場産ブランドと財力が資産。
③淡路市は、田園市としてハンディーキャップの地形を視点を変え、調整役
の立場で宿借り作戦が資産。
(2)行政としての目標
①当 面 財政再建団体の回避
②9年後 身の丈にあった行政体の整備計画~将来の淡路島市実現のため
③総 括 色々なセーフティーネットの構築
神戸の壁の意義
3 将来の淡路島
(1)明石海峡大橋の無料化
①国 道路特定財源投入~民主党
②県 調整支援~県単独施策の導入
③市 相互連係運動展開~市単独施策の検討
④民間 明石海峡大橋を無料にする会~署名運動などの展開
(2)島全体を美化、環境整備し、ハワイ島のような観光島を目指す
(3)三市の役割分担
①淡路市 新観光拠点 大橋(観覧車)夢舞台群(国営公園)震災拠点、
風力発電、神宮(薪能)運動公園、未利用地利用
おのころ(航空機、潜水艦の展示)
②洲本市 歴史観光拠点 三熊城
③南あわじ市 地場産観光拠点 イングランドの丘 沼島
(4)交通体系の見直し
①津名一宮インターの再整備
バスの利便性、競合による料金低減
②たこフェリーの存在意義
(5)総括
人口減少時代の新たな自治体作りに当たって、縮小を覚悟したうえで、質
の高い「縮合政策」を検討、模索、賢明な市民の共感のもと実行する。
歳入、歳出、一体となった行財政改革を断行し、一市への道を拓く。
都会と田舎、格差時代の中で、田舎市の未来の礎を構築する。
(参考)
・人口推計(淡路島内)
江戸末期 10万人?
昭和22年 22万7千人
平成12年 15万9111人
平成17年 15万1830人
2050年 10万人?
平成18年5月
平成19年 仕事始め挨拶概要
1 皆さん、新年明けましておめでとうございます。2 新生淡路市の1年目は、「継続と融和」、2年目の去年は、「資産の見直しと再整備」
今年3年目は、「検証と実行」です。
今までぼんやりとしていた淡路市の姿が、ようやくそれなりの形として見え始めています。今は、拡散する議論のための議論をする時ではなく、五町の塊ではなく、新市の確立のための前向きな議論の集約を目指す時です。

百人の無責任より二人の真剣を選択する時です。
従来のような、行政内部だけの議論は、もはや通用しなくなった現代社会において説明責任を果たしきちんと事務処理を推進しなければなりません。
3 昨年の年始、私はこのように言いました。
身の丈に合った市作りを目指しましょう。そのために、
①自分自身の評価を明確にして、市民から必要とされる職員になろう。
②まず身の回りから見直し、自己研譜をして、自分の仕事は120%を目指そう。
③情報の共有と相互連携を徹底し、共感を信頼関係にまで高め、組織の力を最大限に生かそう。
①歴史の節目にあって改革に耐え、コストを最小限に押さえ市民と共に痛みに耐えましょう。
*もう一度再確認してください。
4 合併した市そして受け継いだ負の遺産というハンディーキャップをプラスに変え、良い意味での縮合政策を実行し、行政サービスの質を高める。
昨年のライトアップにあった言葉、夢とは「市民と共に明るい夢の実現を目指す」
故郷とは「市民と共に安全安心な環境を目指す」
未来とは「市民と共に健全な財政運営を目指す」
を意味します。
5 最後に行政で大事な事の一つにバランスが有ります。それはチームワークの鍵でもあります。相手の立場にたち、愛のある行政に努めましょう。
平成19年1月4日
広報淡路 就任挨拶
淡路市民の皆さん、この度、新市の市長として選ばれました門(かど)です。どうか宜しくお願いします。皆さんもそして市職員も、未知の合併という領域に遭遇しました。この非常時に対処するためには、一致協力する体制と心が必要です。その為には、情報の共有に務め、相互連携し、信頼関係を作らなければなりません。私と職員達は、行政の本旨が「サービス業」という事を肝に銘じ日々務めます。市民の皆さんも、身の回りの小さな事からそして将来の夢の事まで、共働という精神を育む心で語って下さい。
淡路市の課題は山積しています。しかし、それだからこそ可能性が有るとも言えます。地形、人口の散逸、生活文化の違い、そして過疎、高齢、少子、それらは都会に無いものです。東京に無い視点価値観で、行政サービスの新たな展開を目指します。
故郷に降る雨は時には厳しく激しく降ります。しかしその雨は明日の糧となって必ず実ります。教育、医療、福祉の重点施策は勿論、財政再建に務め、市民の皆さんの声を聞きながら、住民本意の行政運営の展開に取り組んでまいりますので、今後とものご指導、ご鞭捷のほどどうか宜しくお願いいたします。
平成17年5月9日
「市町村合併について」
淡路市誕生は、平成17年4月。市長誕生は、5月9日。新議員28名による新議会は、8月9日。僅か5ヶ月の中で、激動の歴史の動きが有りました。この際、「市町村合併」とはそもそも何なのかを確認する事で1四半期を総括したいと思います。
数字で言えば、平成11年3月31日に3232在った市町村が、18年3月31日に1822(見込み)56・4%になるという事です。
紙面が限られているので、端的に特徴を整理しますと、まず、一つは、明確な効果ですが、規模の拡大と、能力の向上に尽きます。
二つ目が、都道府県との関係です。権限、事務の委譲等が実施され、実質的な対等化の動きに繋がっていきます。それは結果として、出先機関の見直しにも波及するわけです。
そして、その手法においても、昭和の合併が、県が監督官庁として主導したのに対し、平成の合併では、建前上、並立あるいは協調が主流になりました。この流れから言うと、次は、市町が実質的中心となって見直し等の推進を計って行く事になります。
そうした、歴史の必然から、私達、淡路市民がこれからどういった事に留意しなければならないか、課題は山積しています。

合併後の市作りですが、自立的な経営主体へと、今以上に移行する必要があります。合併により、程度の差は有りますが、それ自体が、行政改革としての効果を生む。しかしそれだけでは効果は薄い。そこに、市作り戦略の策定という大プロジェクトが必要になります。その流れは、住民の参加と、協働の促進から、地域自治組織の育成へと繋がり、最後に、住民間の融和施策として完成するわけです。
よく、合併しても何もいい事が無いという議論を聞きますが、「川の流れは両岸から見なければならない」視点から言いますと、合併しなければ潰れていた町を市として再生したのであり、町で受けていた行政サービスを維持する為に、淡路市旧5町は、合併と言う最適な方法を選択したのです。
補助金等の3割カットが厳しいとも言われますが、それは議論が逆なので、合併により、ゼロになる補助金を逆に7割確保出来たと考えるべきです。
その為に、今年は、夏祭りにしても今までの継続を合い言葉に、地域の住民が協力しながら手づくりの祭りを開催しました。総じて好評でした。さて皆さん、来年の市制一周年をどうした形で迎えるか、一緒に考えましょう。「継続と融和」を合い言葉に。
広報淡路・市長の部屋 平成17年9月号
一年経過挨拶
振り返ると沈黙して広がる埋め立て地に
風に吹かれる雑草が見える。
新たな年に新たな決意
想念に少年少女の横顔が見えた。
あれは、遠い日。

平成17年は、私にとりましては、やはり「嵐」が印象の漢字でした。
5月1日、その日だけに吹き荒れた、風と豪雨。
止まらず走り続けた日々の中で、感謝の気持ちを胸に秘め、何とか今日まで頑張ってきました。心からの御礼を書面にて申し上げます。
そして、残ったものは何であったのか。
「継続と融和」という言葉の、切れ端は掴んだと思っています。
さて、平成18年、「資産の見直しと再整備」の段階に入ります。
市役所は、組織、人事、予算の縮合施策の検討に入り、身の丈に合った市政運営を目指します。
各地域は、それぞれの独自性を出しながら、これまで以上の融和を模索します。
トータルとしては、未利用地等の利用計画の見直し、そして指定管理者制度の検討。
いずれにしましても、一歩前への精神を忘れずにです。
今年のご健勝にてのご活躍をご祈念申し上げ、取り合えず、書面にてのご挨拶といたします。
平成18年4月
「敬老月間」
菊月を敬老月間と言います。国民の祝日の一つ、9月15日が「敬老の日」と定められているところからきているのですが、敬老が老人を敬うことからすると、月間と定めるのに違和感を持つ人も居ます。1996年昭和41年に、従来の「老人の日」を新たに祝日として制定された「敬老の日」を中心に、敬老会が各地で開催されます。75歳以上の高齢者を招待して、記念品の贈呈そしてアトラクション等開催したわけですが、今年、淡路市としては、「継続と融和」の精神の一環として各地域で開催する事にしました。
最近、長寿祝金のことで、誤解している方々が居られるようですので、補足説明させていただきます。旧5町では、祝金の支給開始年齢が75~80歳以上とばらつきが有りました。それを、77歳からと改正しました。支給額も2~3千円を毎年ばらまく方法から、77歳喜寿1万円、88歳米寿2万円、99歳白寿5万円と節目に支給するよう改正しました。これは、支給総額としては、変わりませんが、お年寄りの元気の創出と目的意識を持つ事から元気老人を目指す方法として、県や他の団体と同様の支給方法としたわけです。
高齢社会加確実に予想される現代では、義務として元気な老人の自己研錐が、結果として、地域の医療費等の抑制に繋がり、社会貢献するわけですから、財政的直接効果は期待薄ですが、間接的な効果は、計り知れないものが有ります。なお、市最高齢者に表彰記念品と5万円、百歳到達者、各地区最高齢者、最高齢夫婦には記念品、県からは、88歳に3万円、百歳に5万円が支給されます。
老人とは、「年とった人、年寄り」と規定していますが、老人福祉の増進を目的とする法律「老人保健法」は、70歳以上の老人医療と40歳以上の者に対する保健事業について規定するとあります。
人が作る法律は、万人に共通するものでなければならないので、その内容は、結果として、後追いにならざるを得ない宿命を背負っています。医療等の向上で平均年齢が伸び続ける日本では、老人の規定は難しいですが、個々人の意識によるところもあります。
「人は、歳を取ったから老いるのではなく、理想を無くした時に老いる」という言葉も有ります。単にお金をばらまくといった無策ではなく、明日に繋がる方法を模索します。
新生淡路市誕生により、来年の敬老の日の開催方法も検討されています。高齢者福祉サービスについても、長寿祝金の改正についても、敬老月間は秋に似合う観点から適正な議論を活発に起こし、まさに、元気老人の淡路市の名を高めたいものです。
広報淡路・市長の部屋 平成17年10月号
「介護保険制度」
平成12年から、公的介護保険制度が開始されました。その背景には、高齢社会の進展により、75才以上の後期高齢者の増加、寝たきりや認知症(痴呆)等の要介護者の増加する中で、核家族の進展で、家族は介護機能を低下させ、老介護、一人暮らしの介護など社会的な課題が山積していた事が有りました。
それまでは、措置制度、所謂、行政側の判断によりサービスの種類や提供をしてきたわけですが、福祉の考え方を見直し、市の職権に基づいて与えられる受動的なものではなく、利用者が自分で選ぶ、主体的選択により自らの能力に応じた自立した生活を営む事ができるような、高齢者の介護を社会全体で支える仕組みを創設したわけです。
その理念は、保健・医療・福祉サービスに係る給付を総合的に行うため国民の共同連帯とする事。
主な特徴は、
①サービスは利用者が選ぶ
②福祉と介護のサービスの一体化
③効率的で良質なサービスの提供
④提供サービスと負担の関係の明確化
⑤40才以上全員加入と保険料の支払い
そして、制度発足から5年、高齢者の自立支援、尊厳の保持を基本としつつ、持続可能な介護保険制度の構築を図る所要の改正がされました。
主な視点は、
①予防重視型へのシステム転換
②施設給付費見直し
③新サービス体系の確立
④サービス質の確保と向上
⑤負担、制度運営の見直し
いずれにしても、同程度の要介護状態であれば、給付と負担は、公平にという当然の考えが実施されたわけです。
一方、低所得者対策としても、
①特定入所サービス費創設
②高額介護サービス費見直し
⑤高齢者夫婦等の居住費、食費の軽減
等の措置が取られました。
淡路市としましては、予防事業の推進を図る観点から、65才以上の高齢者を対象とした、「高齢者の達者で長生き運動」として市内の温泉施設、プールの利用券の発行とまちぐるみ健診の基本健診負担金の助成をしています。
何よりも大事な事は、認知症予防、運動機能の向上、栄養改善、口腔機能の向上など一人一人の状態にあったサービスの提供に努めることで、長生きで元気な高齢者を作ることです。
介護を受けないように老いるためにも、生活習慣に留意し、常に、精神に張りを持って毎日を生きることが大事です。
広報淡路・市長の部屋 平成17年H月号
「街創りの視点」
小泉首相の靖国神社参拝が議論を呼びました。答えは、無いように思います。私達の淡路市の活性化も多様な視点で考え、そして、決断しなければならないでしょう。歴史が物語るという言葉が有ります。自然、環境を変える方法で街を守った一つに、琵琶湖疎水の土木工事が有ります。
京都の命の水とも言われ、4年8ヶ月をかけて人力で完成された疎水は、東京遷都のあおりで京都に危機感を抱いた知事が、若干21才の青年に託し、日本では初めての水力発電までをも完成させ、結果として哲学の道とまで呼称される文化環境を創出しました。
一方、その対極に有るのは、世界遺産に名を連ねる、屋久杉と島。木材産業で生計をたてていた島人、故郷の同胞に、帰郷した二人の青年が、「このままでは、結局、自然の財産の屋久杉を食い潰し、人間も共倒れになってしまう、未来の屋久島を守ろう。」と説得し、その自然を守り、それで、日本有数の観光地として今に在ることです。
どちらも素晴らしい方法であり、現代の人類に貢献しています。淡路市にそうした方法はないのか。それを模索する事が、地域経営の哲学そのものではないでしょうか。

来年3月に、淡路島は3市が確定します。洲本市は、県内で6番目に出来た伝統と歴史の市です。これまで淡路島のリーダーとして、蓄積された組織、ノウハウ、そして人的ストックが顕著で、これからもその存在は重要です。
又、南あわじ市は、その地形にも恵まれ、人形浄瑠璃に代表される伝統文芸に裏打ちされる人的まとまりと、玉ネギ、レタス等に代表される第一次産業の農業、東京に直接納入出来るルートを持つ漁業と力の有る経営主体が、顕著です。
一方、淡路市は、その地形が災いし、5つの核が、バラバラに存在しており、いくら継続と融和と言っても限界が有り、それぞれの特性を身の丈に合った形で活かす方法が求められています。
西浦、東浦の表現を、今風に、「西海岸、東海岸」として売り出すとか、花さじきを今以上に人気のスポットとして観光の基軸とするとか、いざなぎ神宮で本格的、長期的な視点で薪能の開催をするとか、メリハリの効いた方法が必要です。
又、夏祭りは一体化を検討、敬老会は各地区での継続といったそれぞれの特性に応じて丁寧に模索し、例え無駄かも知れないと思っても、シジフォス(※)が課せられた宿命と同一の課題を背負って、淡路市はこれからの街作りに努める事が必要です。
広報淡路・市長の部屋 平成17年12月号
※ギリシャ神話から、カミュが書いた「シジフォスの神話」の不条理。
「謹賀新年」
淡路市の皆様、新年明けましておめでとうございます。時は、どのような状況であれ、永遠に過ぎ続けています。平成18年ももう既に何日か、過ぎました。淡路市発足から9ヶ月、5町から淡路市へ、着実に歩んでいます。

初年度は、継続と融和を合い言葉に走り続けましたが、今年からいよいよ、淡路市は、将来計画を明確にしていかなければなりません。2年目は、資産の見直しと再整備の年になります。地域の伝統文化、施設、インフラ整備、未利用地、産業等全てにわたり、そして勿論、市行政の組織、人事、財政などもです。
自治体に倒産無しと言われますが、岡山県のある町が、去年の9月に町議会で国の管理下での財政再建を表明した時、岡山県知事は、「自主再建断念は無為無策の印象を受ける」と批判し、町長は方針を撤回はしましたが、自助努力には、限界が有るともしていました。
県下でも厳しい財政状況であった旧津名郡5町も同様な立場に在ります。
人口減少時代の新たな自治体づくりにあたって、手本が、旧来ドイツのフランクフルト・アン・デア・オーデル市に有ります。市制750年の市が、西側への移住と出生率低下そして高齢化の現実に対処するために取った政策は、縮小を覚悟したうえで、質の高い街を目指す「縮合政策」でした。
単なる拡大だけの夢を追うだけではなく、縮小している事実を認識し、用途地域の見直しにより開発を規制、歴史的建造物の修繕復元、生活の質を高め効率的なインフラ整備を目指し、現代の世代だけではなく、将来世代にも配慮した長期的視点の街創りを考える事、まさに、「資産の見直しと再整備」の実行です。
自由主義、資本主義の中で今の繁栄を創りあげた日本は、東京とその他に代表される二極化の中で、ますます、先進国と同様、富める者と、その他の者の不条理な世界に突入しつつ有ります。
そのような時にこそ、楽しく暮らせる地域社会の創出のため、弱者に対するセーフティーネットが、制度として必要なのです。その一翼を担うのが市行政です。
拡大と縮小、改革と守旧、それらは、その地域の身の丈にあったバランスの中で調和されてこそ、効果を発揮します。
淡路市も他の2市との連携の中で、互いに協調連携しながら、同時に競い合う向上の精神で謙虚に町作りを継続していかなければなりません。
課題が多い淡路市は、視点を変えれば、一番可能性に溢れています。戦後60年の節目は、淡路島新時代の幕開けです。心自然のまま、衿持を高く、市民の皆様と共に今年を歩みましょう。
新年初頭に当りまして、淡路市初代市長としての責任の重大さを心に刻みながら、市民の皆様ご家族の本年のご健勝にてのご活躍をご祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。
広報淡路・市長の部屋 平成18年1月号
「新生淡路市の学校教育施設の未来」
平成17年4月、兵庫県津名郡5町の合併により誕生した淡路市は、当然のことながらコスト高の見本市です。平成12年の国勢調査の人口は、5万2千人弱、平成17年には、4万9千人台になり、当然のことながら隣接の市に比較して財政力指数は低いにもかかわらず、施設などはその5倍を要し、北端から南端まで小一時間はかかる距離、西海岸と東海岸の真ん中に丘陵が連なる地形というハンディーキャップを背に、待ったなしの市政運営が続いています。

淡路市の教育施設の環境は、平成7年と17年を比較しますと、小学校の学校数は24校、3684人が2577人と1107人の減、中学校は、6校が5校となり2029人が1442人と587人の減と、10年間で激減しています。
校舎、体育館、プール、の施設はそれぞれの竣工から長いものでは、築41年を経過しています。生徒数の減少、各施設の改築などの問題を抱えて、合併という総合改革に対応しなければならないわけです。
学校の合併手順としては、まず、「淡路市学校統合推進委員会」の立ちあげ、この委員は、市長名で委嘱することになります。規程の中で、組織が決まりますが、委員は、議会、市教育委員会、校区区長代表、連合婦人会代表、消費者団体代表、市立学校長代表、PTA代表、学識経験者などです。通例、5回ほどで市長に答申がされますが、その日程はそれぞれの地域の事情によります。
答申を出すにあたっては、市民アンケート、事業経費の詳細積算、旅費試算、公文書の検討などの整理をします。
そうした事務的なことよりも、市民の地域感情にどう理解を求めるかということが重要です。今の淡路市の状況を考えると、「縮合政策の選択止むなし」と日頃言われる人が、小学校の統合という事になると、「学校が無くなると、子供たちの声が聞こえなくなってお年寄りが寂しがる、祭りの拠点が無くなる、近隣が寂れる」といったことで、「統合反対」という意見を言い出します。そこに欠けているのは、子供たちの教育環境がそれでいいのかという視点です。ある学年に生徒数がゼロ、サッカーのチームもIチームしか編成出来ないといった状況は、やはり何処かおかしいのではないでしょうか。

島の過疎化の教育事情で色々と意見を言われる方が、自分の子供たちは、。都会の学校に通学させているといった実態の矛盾が、淡路市の現実として有るわけです。
いずれにしましても、新生淡路市の教育は、その改革改変にあたって情報を開示し、市民とともに推進する事が肝要です。しかも、その結果において、説明責任を明確に果たし、将来の良好な教育環境の確保を目指す視点に立って努力します。
まさに、縮合を覚悟して質を高める事の実行です。その向こうに淡路市の未来が有ります。
広報淡路・市長の部屋 平成18年2月号
「組織の見直し」
淡路市行政の、2年目は、「資産の見直しと再整備」です。金と力が無いならば、「ヤドカリ作戦」の実行です。淡路市直接の資産ではないにしても、岩屋の大橋、東浦の国営公園、夢舞台施設群、北淡の震災記念公園施設、一宮のイザナギ神宮、津名の佐野運動公園、おのころ愛ランド公園、そして未利用地、利用し甲斐のある資産が結構、各地域に散在しています。それらの資産を有機的に連携させていく組織の整備が急がれます。

それだけではないにしても、5地域の効率的な連携を推進するために、今年、18年度は、組織の見直しを予定しています。
基本的な考え方ですが、効率的な行財政運営を目指すため、事務の合理化、効率化と、職員の定員適正化を図ることとして、三つの基本方針を定めます。
①本庁と総合事務所の業務の明確化。
②定員管理としては、原則欠員補充はしない。
③出張所、保健福祉センター、公民館、小中学校等の統廃合については、別途検討する。
いずれも、散在する地理的マイナス要因をカバーするため、ギリギリの見直しを積極的に展開します。
具体的には、新設、廃止、統合等に区分されます。
新設するものとしては、企業誘致、明石海峡大橋無料化の推進、公共交通の見直し等を担当する課。生活環境保全を推進する課。地場産業等、商工観光、水産振興を担当するセクションの充実。都市計画を推進する課。
廃止、統合するものとしては、職務を明確にする課名の変更、戸籍の管理業務や地籍調査業務、下水道や水道部局、各種委員会、地域教育の効率化等の業務です。

言うまでもなく、淡路市の財政状況は、危機的なものが有ります。それは、単にそれまでの行政運営に問題が有ったという事ではなく、制度に欠陥が有った結果と言わざるを得ません。5地域に散在してそれなりの運営する方式を国は今まで維持補完してきたわけで、具体の手当が不明瞭なまま、結果として地方を切り捨てる問答無用の政策転換は、将来の日本国家の命取りになる可能性が有ります。
自治体「破綻法」の検討で、首長の経営責任を重視する動きが有りますが、これも正直なところ、ある意味では、弱いものイジメの感がなきにしも有りません。無責任なトップヘの警鐘であるとしたら、田舎を舐めた荒っぽい思い上がりの思考とも取れます。
いずれにしましても、こうした状況の中では、自分達の事は、自分達で守る視点から、大幅な歳入が見込めない以上、徹底した歳出削減のため、組織の大幅な見直しが、今の淡路市には避けて通れない不可欠な命題です。
広報淡路・市長の部屋 平成18年3月号
「淡路市2年目」
昨年、想定内という言葉が流行りました。その言葉を借りるなら、合併した淡路市は、長く行政に係わってきた私にも「想定外」な事が多々有りました。2年目の当初に当り、「資産の見直しと再整備」の観点から、組織と予算を議会に提案しました。今回は、その考え方についての概要をお知らせします。

まず組織の再整備ですが、危機的な財政状況を踏まえ効率的な行政運営を目指し、事務の合理化、効率化そして、職員の定員適正化を図ります。
新設の主なものとしては、財政基盤の再構築を目指す「行政改革推進部」、企業誘致、明石海峡大橋無料化等の交通体系を見直す「まちづくり政策課」、掌握事務を明確にし市民サービスの向上を図る担当課として「生活環境課」「商工観光課」「水産振興課」「都市計画課」「税務課徴収係」等。
統廃合等の主なものとしては、職務の明確化を目指し総務部財務課を「総務部財政課」と名称変更し、用地売却をネットオークションする等による柔軟広範な活動を目指します。また新予防事業に関するケアマネージメント業務を図る「地域包括支援センター」の設置をします。集約するものとして、「下水道部」「水道事業部」「建設課地籍調査係」。一括管理するものとしては、「戸籍管理業務」、選挙管理委員会・監査委員・固定資産評価審査委員会の「事務局の統合」、教育委員会は、総務課を新設し学校教育事務を本庁に集約等します。
いずれにしましても、近隣他市よりは、150から200名は多いと言われている人員の適正化が急務です。

さて、予算についてですが、まず、平成17年度の決算見込みから見なければなりません。確定するのは、5月末ですが、今のところ何とか赤字にはならない見込みです。
「身の丈に合った市作り」を目指し、収入の促進、支出は、合法常識の範囲内で削減し、身近なところ、年賀状等不要不急の挨拶状等の廃止、市長公用車等の売却等から始めた結果、財政調整基金は10億円は取り崩したものの、何とか、普通会計トータルでは、17年度末、基金残高は前年の約4分の3の30億円弱を確保し、18年度の予算に引き継ぐ事ができました。
そうした結果、何とか18年度の当初予算は編成することができましたが、内実は、非常事態です。10億円規模の一般財源に不安定要素が有ります。という事は、19年度には最悪の場合、20億円規模の財源不足が予想される分けで、通常の削減政策では維持出来ません。言われるところの、縮小を覚悟で質を高める「縮合政策」が私達の淡路市に求められます。その事が淡路島全体にとって将来の均衡有る発展に繋がるのです。
災害対策の予算が一応落ち着き、一般会計ペース306億円と、まだ膨らみ気味ながら通年ペースの予算に落ち着きましたが、その厳しい中でも工夫の有る新規事業を紹介します。
整備費関係としては、本庁舎用地購入費、生穂漁港改修、津名マレットゴルフ場整備、北淡県民サンビーチ施設整備事業、一宮河合縦貫道安全対策事業、北淡石田常隆寺2号線改修、釜口12号線整備事業、津名大谷生穂新島まちづくり交付金事業、岩屋市民農園整備事業等を実施し、建物関係としては、給食センターと一宮体育館の整備準備にかかります。福祉対策の一貫として、志筑小学校にエレペーターを設置します。
将来の北淡津名を最短で結ぶ道路として、興隆寺中央線も計画準備に入ります。この他合併により市内の連携を推進する意味で、西、東海岸を結ぶ道路の新設等を進めます。

定住対策の一環として、市営住宅のあり方等を検討する、民間賃貸住宅調査事業を実施し、島外からの転入の促進にも努めます。
また、県事業として、長年の懸案であった、志筑川の改修、上内膳津名線の塩尾入口付近の拡幅改修が着手され、合併支援道路整備と併せ、安全安心の市作りも進みます。
イベント的なものとしては、プロ野球球団キャンプ誘致、観光イベントとして薪能、国営明石海峡公園等とのジョイント花火大会等を開催する一方、地場産業育成の観点から、地場産業新分野進出・新製品開発支援事業、瓦屋根工事奨励金事業等も実施します。
こうした事業を円滑に推進するため、事業評価検討委員会、学校・保育所等統合検討委員会等も設立します。
こうした他、津名地区に淡路島に初めての医療系の大学が開校、病院や養護老人ホーム、グループホーム等の計画の他、未利用地に数々の新規出店等の計画もあり、徐々にではありますが、淡路市にも停滞していた経済にそよ風が吹き初めています。
ただ、「国の改革に影の部分が見え始め、年金生活者に厳しく、地方切り捨てで、村(故郷)が消える」と言った悲鳴も市民から聞こえてきます。
歴史に学び、利己的な党利党略にとらわれる事なく、今こそ志を高く、全体の市民に対する責務として、セーフティーネットの構築に努めます。

残念な事も報告します。津名港へのパールライン復活を洲本市と協議していましたが、課題の解決に日時を要するため18年度は見送りました。その代わり、交流の翼港に神戸空港からの船が寄港するよう努めています。
総合事務所制度をとった淡路市、共和国の利点と、経済格差、人口流失を逆手に取り市の機能を縮小再編する事で、身の丈に合った持続可能で質の高い行政サービスの実現を目指さなければなりません。
淡路市の市民意識の一体化、少子高齢対策、災害対策そして財政再建の喫緊の課題、それらを踏まえた上で、各地域の印象を言葉で表せば、淡路と東浦は「交通の核と夢舞台群」、北淡は「一次産業と震災公園」、一宮は「お線香と歴史」、そして津名は「行政の核とスポーツ公園」。色々な見方が有りますが、いずれにしましてもそれらを有機的に連携し調和が取れた時、淡路市は初めて別の意味で、3市時代のスタート地点に立てたと言えます。
今回の合併は、デメリットの解消が目的であり、将来の自立が具体の夢であるといった観点からも、明るい淡路市を目指して共に頑張りましょう。
なお、具体の改革等の計画につきましても、市長の部屋等で明らかにしていきます。
広報淡路・市長の部屋 平成18年4月号
平成19年新年ご挨拶
淡路市の皆様、新年明けましておめでとうございます。新市発足、3年目の正月を迎えました。初年時の正月はまだ5町が在りました。今は、淡路島3市の時代にあって、淡路島のウェルカムシティーとして淡路市は、美しい淡路市を目指し創世計画を進めています。

過去の精算として健全財政の構築を目指し、住民の安全安心な環境作りを現在の課題として、未来の夢は、明石海峡大橋無料化など地域の活性化、魅力有る地域作りです。
そのために、平成17年度は、引き継ぎと問題点整理の視点から「継続と融和」18年度は、集約と課題の解決のため「資産の見直しと再整備」19年度は、途中の成果の公表として「検証と実行」そし20年度は、新市としてのまとめとして「事業推進と新市2期目の課題整理」と、行政運営を当り前の事を当り前のようにしていく必要が有ります。
そして、行政の説明責任とは、相手の気持ちになってする仕事から発し、市民に理解してもらえる努力に帰結します。聞く耳を持たぬ人が居るとしたらその人の態度を責めるのではなく、聞いてもらえる努力をする事を新年に当たりましてのお約束としまして、心に秘めた側隠の情を忘れる事なく、これまで以上に身を引き締めて、新年のご挨拶とさせていただきます。
広報淡路 平成19年1月号
首長2006年の抱負を語る
平成の合併の使命が地方、特に田舎地域にとってデメリットの解消とするなら、合併2年目の淡路市は、継続と融和の次に、資産の見直しと再整備という平成維新の節目に突入しなければならない。後輩達に責任を持って地域を託するために、将来を見越した街作り、そして後継者育成作りの事業を公民一体となって実行していく年と位置付けています。
淡路島だけに限って地域の事に言及すれば、これまで洲本市、南あわじ市の地域に遅れをとっていた感のある淡路市が、初めて組織的に攻勢を取れる立場のスタートラインに立てる年でもあります。そのためにも、他の2市とも協調融和を図りながら、結果として淡路島が一つとなって発展出来る基盤作りも推進していかなければなりません。
淡路市は、そのハンディーキャップと言われている地形を、発想の転換によりバランスの取りやすい核作りの視点として、岩屋東浦は、夢舞台、国営明石海峡公園、明石海峡大橋等の交通結節点と観光エントランス地域、北淡は、震災記念公園のモニュメント地域、一宮は、伊井諾神宮などの文化推進地域、そして津名は、佐野運動公園、庁舎などの地域振興の地域として概成させていきたい。そしてそれらを、明石海峡大橋の無料化の実現に向かっての、「明日に架ける橋」として輝く財産に繋いでいきたい。
平成18年5月 朝日新聞淡路版
【トップインタビュー】 時事通信
◇合併後の市民意識醸成に奔走淡路島北部にある津名、淡路、北淡、一宮、東浦の旧津名郡5町が合併し、今年4月に誕生した兵庫県淡路市(4万9500人)。新市発足に伴い5月に行われた選挙で当選した門康彦市長(かど・やすひこ=59)は、県幹部職員として培った行政手腕を武器に、「淡路市民」のアイデンティティー確立という難題に取り組んでいる。

県淡路県民局長時代、津名町長選への出馬を打診されたが固辞した。5町合併は既に始動していたが、各町が独自の気風を持つ淡路の地域性から「現職町長が主導したら、まとまる話も壊れる」と判断したためだ。無事合併が決まり「初代市長に」と請われた時は、断れなかったという。
行政の枠組みは整っても、住民意識は旧町時代と大差ない。「『淡路市民』という自覚ができているのは、市職員の中でもまだ一部」。各旧町の商工会や漁業協同組合を回って、統一組織の立ち上げ要請に奔走中だが、無理な一本化は避け、例えば夏祭りなども「今年まで」という限定付きで旧町ごとに開催する。「初代市長に必要なのは、政治家でなく事務屋としての力量。行政マンでなければできない」というのが実感だ。
淡路島では、淡路市以外にも、昨年1月に南部の旧三原郡4町が合併し「南あわじ市」が誕生。洲本市と五色町も来年2月の合併を目指し協議を続けており、1市10町が今年度中に3市へ再編される見通しだ。
もともと「淡路島全体を1市に」というのが持論。「11市町がばらばらに動くより、3市が同じ方角を向いて進む方が、対外的な発信力は絶対強い」。各合併市の議員選などが控えるため、しばらくは政治的に動きづらいが、新米市長の視線は早くも「その先」を見据えている。
〔横顔〕関西大文学部卒。空手は4段の腕前。妻子を神戸に残し、市内の実家に単身住まい。インターネットのブログ(日記風の簡易ホームページ)更新は欠かさない。
〔市の自慢〕源義経との悲恋で知られる静御前の霊廟(れいびょう)を中心とした「静かの里公園」。公園内には1989年に「ふるさと創生交付金」で購入した1億円の金塊(現在107キロ)が展示され、これまでに320万人が見物に訪れた。
〔ホームページ〕 http://kado.tv/
時事通信 2005年7月26日配信
兵庫ジャーナル 【この人】
継続と融和掲げて淡路市長就任4ヵ月
難題の解決へ妥協なし
信頼づくりへ住民対話

人柄と足跡は「ぶれない」という言葉に集約される。信条は「心は少年」。似付かわしい面差しとは対照的に、逆境にめげない芯の強さは定評がある。
合併後の初代市長選。元衆院議長の養子と対決。地縁血縁を総動員した旧来の手法と同窓生らボランティアに支えられた素人集団の一騎打ち。3500票差。
「清廉選挙をやり切った」と胸を張った。
「今日は私たちにとって旅立ちの日」と語った翌日には、休む回もなく初登庁。以来、4ヵ月足らず。新市議会もスタートし、「継続と融和」を掲げる地域づくりは、本格化のときにある。
「市長になって何をするかが、問われている」と言い続けてきた。もちろん思いは変わらない。
それだけに「行政はサービス業ということを肝に銘じて」と職員に注文しつつ、「志は高く、一歩でも前へ」とともに歩む姿勢。しかし、財政問題、公共料金など山積する難問の解決には「妥協はしない」とも。
一方で、情報の共有と相互連携を基本に、「市長と語る会」を開催し、住民対話による信頼構築を心がける。
ホームページ「旅立ちの唄」はアクセスー万件を突破。「待ったなし」と銘打った政策への共感が寄せられている。公約の一つ明石海峡大橋無料化宣言も「きっとやってみせます」と結んでいる。
5キロ減った体重も元へ戻り、毎朝、ストレッチで健康づくり。お嬢さんとは毎日メール交換。「見えない所で沢山の人が守ってくれている」と県在職当時からの多彩な人脈をちらり誇った。
平成17年8月29日
これからの淡路を考える
地域づくりが、人間その種の保存の根源的営みとしてあるとするなら、今さら大仰にいう必要等無い訳で、永劫繰り返されてきた、「情報の共有」と言うごく自然体の行動と言う事で足りる筈である。ただ、価値観が多様化し変化が加速する現在、単にそこに留まること無く、多彩な相互連携をしながら共感を創出しそれを信頼関係にまで高めて行く事が求められている。その意味において、これまでIOGが担って来た役割は、淡路地域に在って重要なものであった筈である。そして今、IOGも幾多の歴史が遭遇したようにその節目を迎えている。
人は別れと出会いの狭間で生きていると言われる。母の体内から別れ自我と遭遇してから、長くそして短い旅の間に多くの別れと出会いを経験し人はそれぞれの歴史を作る。
私にとって、淡路県民局長の職との出会いが、IOGとの出会いの契機であり、そして亡き母と旧知の内山さんとの再会でもありました。IOGの一人の功労者である内山さんが島を去り、その島が平成の激動期に在ると言う事が単なる偶然なのか、歴史の必然なのかそれぞれの価値観視点に因って千差万別であろうが、淡路島が架橋によって島という概念から別れ島内外を問わず、通勤圏域と言う距離と時間に出会った今、島民が何を成すべきなのかを問われている選択の時期でもある。
活性化と人は言うが、現状では、定住を想定した活性化は困難に近い。交流人口の増大を図るとか、ハード事業に頼らず、ソフト事業によるイメージにより打開策を図る事が現実的な方策であり、過疎化の現実にあった施策が求められている。
今行われようとしている市町の合併の目的は、行政の運営を効率的にし、コストのかからない小さな市役所を作る事にあり、不特定多数の人々にサービスを提供する為には公平で的確、適正な手法を取り、特定の利害に流されるようなことは極力避けなければならない。事の是非は別にして、今迄の淡路地域は、比較的公共事業で優遇されてきました。無意識の内に私達はその事に安住してきた歴史が有ります。これからは、その価値観、視点を変えなければならない訳です。言葉としては簡単ですが、現実はそう簡単では有りません。例えば小さな市役所を作るという事は、雇用の枠の縮小を意味し、効率的と言う事は無駄な施設等の縮小廃止に繋がる。
結果として、取りあえず淡路地域が3市の枠組を選択している事は、現実に即した対応で有る事は間違いないが、正解であるかと言うとそれも疑問符が付く。
熟成した地域として、後世に責任を持って託せるのは、淡路島が1市としてまとまり、今の現状を冷静に認識してその器に合った行政運営を目指す事がベストであり、より正解に近い理念である。その為に今の生みの苦労がある訳で、いつの日か、その情熱が地域住民の土となり、そして風となるようにその地に生れた者の証として務めようではありませんか。そして、いつの日か、IOGが、歴史の中でしか語られなくなった時に、淡路1市の実現の功労者の一つとして語られる事を、新年初頭に祈念します。
平成16年3月 IOG NEWS 45号
(庫県代表監査委員)
津名ロータリークラブ週報
こんにちは。淡路市長選の折りには、ここに居られる多くの方々のご支援を賜りましたこと、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。また私の選挙はボランティア選挙でしたが、選挙後多くのボランティアの方々が市議選へと飛び散られたので、お礼や挨拶を充分出来ずにいました。それが今になってようやく出来るようになりました。お近くの方で、「応援したのに挨拶もない」と言われる方がおられましたら、「このような事情で遅れていたが、これから徐々に行われるようである。」と、是非言い訳の代弁をお願い出来ればと存じます。さて時間の関係で、今日は以下の内容でお話しを進めたいと思います。
1 産経新聞(平成17年5月24日)(『産経新聞「私見独見」』参照)
読まれた方もおられると思いますが、「市民と歩む未知の領域」と「信頼関係構築し特性を生かす」の2点について書かせて戴きましたので、未だの方はお手隙のときに是非お読み戴きたいと存じます。
2 地域経営哲学
まず言いたいことは「平成の大合併」です。「昭和の大合併」は「県主導」で実施された。「再合併」の場合は、「市主導」で実施されると思われる。それに比して今回の合併は、「対等(誘導)」ということが出来る。県と市が充分話し合い理解のうえで合併することに向かった訳です。国と地方を合わせて1000兆円の債務を抱えており、そのことからも「地方の自立」を促さざるを得ない結果である。このことを背景に、淡路市のこれから目指すポイントを2点申し上げたい。
一つ目は、どちらを選択するかである。それは琵琶湖疎水か屋久杉かである。琵琶湖疎水は京都知事が若干21歳の若者に託し京都を救った公共事業で変革を意味し、屋久杉は村に帰った若者が環境を守り人間を守るという立場で説得した、保存事業の偉業で世界遺産に名を連ねているような功績である。旧津名町は洲本と競い合ってきた歴史がある。今は洲本に少し遅れをとって、今後旧津名町の活性化は淡路市の重要な課題の一つであると据えている。平成27年には高齢化率33・3%になる高齢化問題や全国70%シェアの線香産業を中心とした地場産業の発展継続も大きな課題である。
二つ目は、近年観光客が減少傾向を示していることである。平成13年度は500万人までに落ち込み、ピーク時の半分までになった。また市民の意識調査では、東浦を除く4町は第一に経済対策、第二に高齢化対策であった。東浦はそれが逆の順位であった。東浦は国道28号線上に広がる地域で、駐車場を無料にするなど独白の視点で町全体を見据えている。そのことが、ターミナル中心に人を呼び新たな店舗が増える等、ちょっとした活性化が見えている。
3 淡路市の目指すもの
今、淡路市は「ウェルカムシティ」をキャッチフレーズにしている。5町の特色をどう生かすかが課題だ。淡路は松帆の湯、東浦は夢舞台、北淡は震災記念館、一宮は伊弉諾神宮、津名は新庁舎を含めた埋立地等々を、どう「拠点をつないでいく」かである。2007年から人口減少時代へ突入する。そのことは社会保障全体に大きな影響を及ぼすことが深刻である。そのためには効率化か重要なキーワードである。
情報発信を二つ、9月は敬老月回で祝い金の変更をした。高齢者に目標を持ってもらいたいとの思いで支給年齢を確定しより高額に設定した。二つ目は志筑川、宝珠川の改修の件で治水対策であると考えてほしい。最後に私のキャッチフレーズは、選挙前は「義理と人情」で、選挙中は「愛と正義」、今は「継続と調和」である。一例であるが、夏祭りも従来のやり方で実施した。新市一本でという話もあったが、また来年から考えることにしている。わたしは「情報の共有化」と「(共感による)信頼関係の構築」を目指しています。今後とも皆様のご協力をお願いし、又ロータリーの益々の繁栄を祈念し本日のお話しとさせて戴きます。
平成17年8月24日
津名高校同窓会が目指すべきもの
淡路島も他の例に漏れず、平成の大合併の最中に在る。15万7千人足らずを三等分して3市の枠組が検討されている。当然、津名高校が北淡路の一つの核として背負わなければならない責任は重い。ただ、それが一つの波としての結集し得ない原因が私達の母校に有る。それが北淡路の印象の希薄さにも繋がっている。
正確な資料は無いが、感覚として、卒業生か地元で就職する率は他と比較して、少ないのではないだろうか。働き場所が少ないから、自営業でもない限り島外に生きる道を見つけなければならない。同窓生同士の付き合いも希薄にならざるを得ない。他の田舎と違って同族意識が少ない分だけ所謂、「よそ者」を受け入れる素地が有る。津名郡には入り易いと言われているのもそんな所に原因が有るのだろう。
そして良い意味での寛容さが、団体行動を取る時の気迫に欠ける事となる。三原郡や洲本市と違う感性がそこに有る。良いとか悪いとかいうものでは無い。
そうした事を打破するのには、何らかのカリスマ性が必要となる。石原東京都知事のような存在が有れば申し分無いのだが、それは急に無理な話で、その代わりになるかどうかは議論の有るところだが、津名高校の校舎新築移転が2年後に迫っている。番匠ケ丘は大阪湾を見下ろす地点に有りほぼ淡路島の中心にも位置している。新校舎をシンボルとして住民の意見を結集し、共感を高め、信頼関係を構築する。それが、今の北淡路、津名郡に求められているものではないだろうか。
五色町住民は洲本市との合併を選択しているが、商工会は津名郡6町の広域連係を強めている。それは捻れ現象だと指摘する人もいるが、行政の枠組が全てに優先する時代はもう終了したのではないだろうか。目的、内容によっては柔軟に適切に生活する事を優先さすべきだと思う。例えば残りの5町、淡路は島の玄関口、東浦は国際ホテル、北淡は震源地と漁業、一宮は伊弉諾神宮そして津名は人家連たんした市街地としてのそれぞれの特色を活かしながらトータルとしては、大阪都市圏域を視野に入れた田園都市を目指すのも一つの方法でしょう。

その核として、物理的シンボルと言うだけより人的ストックも巻き込んだ形での母校のあり方を模索しなければならない。そのインセンティブとして、新たに計画されている新校舎への進入道路沿いに、桜並木を整備する為の運動を提案しました。10年後が楽しみと言う事ですが、そうした小さな事の積み重ねが、いずれ歴史、伝統となって花開くのではないでしょうか。これは一つの例示であって、津名高校といった枠組にこだわる事無く、津名郡全域でそれぞれの取り組みが着実に進められる事が重要です。
本年2月9日、淡路カントリーにおいて、津名高校OBを中心にして15組60名程のゴルフコンペが初めて開催されました。その後、ウェスティンホテルでは、100名近い参加者を得て、懇親会が開催され、盛会の内に共感作りの第一歩が踏み出されました。会の開催が目的ではなく、それが始まりという事で色々な価値観が在る中、今迄、津名郡地域に欠けていたと言われる共感、仲間作りの一つの試みとして発信された会話でも有りました。今、その小さな芽が一つ一つ花開き、広がりに繋がっていく動きが有ります。今迄の価値観を視点を、捨て去るのではなく、違ったスタンスで見直し、とにかく一歩前へ踏み出してみる事を優先しましょう。淡路島の時代の節目、過渡期に津名高校の同窓生が互いのルーツに共感を託す事により、新しい市の未来の礎を作る事、これが今の津名高校同窓会に求められています。皆さん共に闘いましょう。
津名高校同窓会 阪神支部報 平成15年7月
兵庫県代表監査委員(前淡路県民局長)
門 康 彦(高15回生)
津名高校に吹いた微風
津名郡5町の合併による淡路市の初代市長選挙の相手は、故・原代議士の養子と言われている人であった。素人のボランティア集団では、勝てないと言われながら、最後まで市民型の清潔選挙に徹して勝利を得ました。要因は多く有りますが、大きなものの一つに、津名高校の同窓会の力が有りました。本当の意味で津名高校の卒業生が一つの目標に向かって動いた時ではないかとも言われました。
私の家は、元の津名高校グラウンドに隣接した所に在ります。一昔前の事を記憶している方には、武道場と校長官舎の隣の家と言えばよく分かる所です。
その家の前から、後輩達の姿が消えたのに気付いたのは、4月に入って大分経ってからでした。その頃、丁度私は、淡路市長選挙の為の後援会活動で曜日時間に関係なく活動をしていましたので、世相の事に疎くなっていたからでした。後輩達は、番匠ケ丘の新校舎に通学していたからです。今は、医療系の大学の建設準備に入り工事が進んでいます。
敗戦から60年、戦後生まれの子供達が初めて還暦を迎えた年、阪神淡路大震災から10年が経過した年、その節目の年に、津名郡5町の合併による淡路市が誕生し、私達の母校が移転改築した節目の年になりました。
竣工記念式典のテープカットに淡路市の市長として参加し、後輩達に囲まれながら、その記念の年に、新生淡路市の初代市長として私が就任出来た歴史の巡り合わせに、人間の営みの不可思議さを痛切に実感しました。
それはまさに「その時歴史が動いた」刻の中に、自分自身を認識した瞬間でした。

県庁淡路会の会長として阪神支部との付き合いが始まり、幾多の経過を経て、今回の選挙においても、薄木会長を初め多くの方にお世話になりました。この紙面をお借りしまして、心からのお礼を申し上げます。後援会活動をする中で、訪ねた家で「誰某さんから聞いていますよ。お便りが有りましたよ」という言葉にどれだけ勇気づけられたか分かりません。残存率が少ない津名高校の卒業生の、島外からのエールは、強力な武器でした。
選挙中、常に言っていた事をこの際、申し上げます。
一つは、悪い意味でのしがらみを断つ事。二つは、特色のある五つの地域をまとめる事を優先する事。三つは、行政能力を他の市並みに高める事。四つは、財政再建の視点から判断する事。そして最後に、選挙違反はしない事。でした。
その為に、情報を共有し、相互連携しながら、最終は、信頼関係の構築までに至る道程を大事にする事でした。
そして心無い事ごとに煩わされながらも何とか5月8日の万歳の歓喜の声を聞く
事が出来ました。重ねてお礼を申し上げます。
さて、私達の淡路市は、平成17年4月1日誕生の184平方キロメートル、5万2千人足らずの田舎の市です。

6月1日から半年間にわたり、67名による淡路市2回目で最後の市議会が夢舞台の国際会議場で開催されました。私のこれから4年間は、新しい市の構築と、後継者作りの期間となります。皆様のさらなるご支援とこれまでのご援助にお礼と感謝の言葉を紙面を借りまして申し上げます。
合わせて、阪神支部と津名高校のさらなる発展をもご祈念申し上げます。
津名高校同窓会阪神支部報 平成17年7月
「縁(えにし)」~淡路市創世一周年記念「淡路島薪能」に寄せて
清んだ暗闇に薪の炎が舞い、能面が人々の心を捉え、謡が夜空に染み込んで行く。
伊奘諾神宮の第1回「淡路島薪能」が、多くの人々の共同作業で実現しました。地域社会の崩壊が指摘されるこの地にあって、市民と行政がそれぞれの力を出し合って、国生み神話の島に新たな神話の一頁を開きました。
縁「えにし」、言葉に奥深い意味が多く有ると言われる日本語にあっても、その中でも深遠な言葉。今回の催しは、その縁によって実現したとも言えます。
旧、淡路、北淡、一宮、津名、東浦町が合併して一周年の記念、そして、二千五百から三千年の歴史を持つ日本で一番古い神社「伊奘諾神宮」が、お社の改修に取りかかった年、淡路島としては、本格的な3市時代の幕開けの節目の年、まさにそれらが、縁によって今宵結ばれ、多くの人々が集いました。
日本人が作り上げた歴史と、人知の及ばぬ自然が奏でる美の催しは、多くの島人の意見の集大成でもあります。
これまでも薪能は淡路島で多く催されてきました。しかし、何れもが、長続きする事無く、また、観光の拠点となって羽ばたく事も叶いませんでした。それは、これまで淡路島は一つと言われながら、実現していない現実にも繋がっています。
先人の故事に学び、その手法と場所の見直しにより、心としては、淡路島を代表する催しとして、皆様に楽しんでいただく事を祈念しての島祭り。
静と動、光と陰、その狭間に在るものを感じる事が、薪能の真髄ではないでしょうか。

国生み神話にもより、神々が宿ると言われる淡路島そして沼島には、昔から、ご加護や豊作豊漁を祈り、神々に感謝するお祝いに笛や太鼓に踊り等の芸能を奉納する習慣が多く見られます。それらも又、今日の催しの礎として在りました。
今宵の薪能の感激は、観劇していただいた人の数だけ有ります。
一生のうちで感激した事の内の一つとして、記憶していただける「淡路島薪能」との出会いをお土産として、持って帰っていただく事と、来年もまた、再会できる事を祈念しながら、地元を代表しての一人としてお礼のご挨拶を申し上げます。
平成18年5月
祭りのあと(伊奘諾神宮薪能異聞)
観客が去ったしづかホール会場、一人、静かに佇んでその余韻を楽しみ外に出てみると、裏方で活躍された沢山の人々の、笑顔に出会いました。
屋外の能舞台しかない環境の淡路市、雨が一つのキーワードでした。案の定、ぎりぎりまで舞台の決定を保留しての初回になりましたが、これで来年以降に何の憂いも有りません。一番厳しい状況での開催を成功させたノウハウは、正に地域の宝として残りました。
音は静、光は闇、匂いは田舎、空気は神宮、そして幽玄を創出する薪。自然界の調和の妙の極致が薪能とするならば、たとえ、能そのものに造詣が無くても、その場所に存在する事そのものが芸術。そうした思いが、数々の課題を認識しながら、文化と観光の融和を目指して皆様の努力を結集させました。
祭りのあと、心地良い疲れが人々へのお土産になりました。来年は、屋外で皆様方に再会する事をご祈念し、お礼のご挨拶とさせていただきます。
平成18年8月
フラヘの誘い ご挨拶
今年も、「フラヘの誘い」の宴を迎えました。心からお慶び申し上げます。
淡路島市へのプロローグとも言われる、淡路島3市の節目の時、敗戦後60年、阪神淡路大震災後10年、そして、国鉄が本四淡路のルート調査を始めてから50年の節目の、フラの祭典開演は、淡路島の未来への祝福イベントでもあります。
同じ島国のハワイのフラダンスは、ハワイ民族が誇る伝統の民族舞踊で、神聖な宗教儀式にも出自されると聞いています。そして、何よりも見て楽しく、踊ってみても楽しい、阿波踊りや、よさこい踊りにも共通している、多数参加の庶民の文化でもあります。
これを機会に、淡路島が全体として、心を一つにして多くの課題を解決する契機になればと思います。
また、「アロハ」という言葉に象徴される神秘性の中の、フラの真髄である「豊かなる自然に導かれ人との調和を育む心」をこれからも大事に、実行委員会の皆様のご努力に感謝をし、関係の皆様のさらなる発展をご祈念申し上げ、ご挨拶といたします。
平成17年8月
誰にも見せない涙
淡路市婦人共励会会報創刊、おめでとうございます。
「自分の人生で悔いになる事を一つあげよ」と問われたら、私は、「亡き母、門ミユキの死に目に会えなかった事」と答える。当時、明石海峡大橋は無かった。今、有料である橋の料金を無料にすること、それが私の一つの夢である。辿り着いた実家の玄関に明かりの点いた提灯を見た時から私の時間は、止まっている。そして涙は見せなかった。看病も出来なかった自分の体内時間は、母の死を今でも実感していない事にふと気付く。
母が共励会長として仲間と共に闘っていた時、私はその本当の意味が分かっていなかったように思う。しかし、理不尽な事に対する反骨の精神だけは受け継いでいる。
今、共励会もその存在は変革していると思いますが、その精神は時代を超えて生きていると思います。皆様が同志として、理不尽な事に対する心を失わなければ、共励会は永遠です。新生淡路市と共に頑張りましょう。誰にも見せない涙を心に秘めて。
淡路市婦人共励会会報の創刊に寄せて
平成18年1月
長沢アートパークパイロット事業 序文 ~明日に架ける橋~
明石海峡大橋は、明治22年香川県議会で提唱され、昭和28年原口神戸市長の架橋構想を経て平成10年まで、完成するのに1世紀以上を費やしました。たかだか11・3キロメートルに100年以上。それに比べ、芸術の可能性は無限に近い。

早熟の天才詩人、アルチュール・ランボーは、20世紀文学に影響を与え今もなお、世界にその存在を知らしめています。
津名町から淡路市にひきつがれた「長沢アートパークアーティスト・イン・レジデンス」は、水彩多色摺り木版制作という地味な芸術に係わらず、これまで参加26ケ国、68名、日本よりも外国で評価が高いと言われるまでに成長しました。
2006年度も、ノルウェー、カナダ、米国、英国、メキシコ、オーストラリアと世界各国から7名を迎えました。
天才詩人ランボーには比肩するのは無理としても、まさに身の丈に合った方法で、芸術活動を継続することは、未来の淡路市にとっで大事な事です。
これまで、淡路島は島であるが故に、制約された空間で共同生活を繰り返してきていました。それが悪いという事ではありませんが、時として外部からの進入を疎外するという行動に出る事が多く見られました。しかし、架橋により島人は、その行動規範を変えつつあります。
日本人の公徳心が欠如されてきていると言われる現代において、田舎の持つ特質と、外国人との出会いは、人類愛に基づく地域コミュニティーの再生にも繋がります。
そこに芸術が介在する事により、より以上の効果も発揮されます。

5町グループの淡路市が、真の意味での淡路市として成長するためには、明日に架ける橋を渡らなければなりません。
これまで積み上げられてきた成果を継続していきながら、一歩一歩、橋を渡ることの意味は、大きいです。
限られた時間での国際交流ですが、その版画コレクションは、淡路市の国際文化芸術交流の一つの核として花開くことは確実です。
これからも淡路市長沢アートパークが、明日に架ける橋を渡り、淡路島のみならず日本の事業として発展する事を祈念し、市民にも共に、国生み神話の淡路島から新たな文化の香りを世界に届ける努力を期待して、ご挨拶といたします。
平成18年10月
新たな旅立ちにあたって
昭和56年の創刊から24集を数え、区切りの25集が新生淡路市設立の年に刊行される歴史の不可思議さに、そして故郷初代の市長としてご挨拶をさせていただく巡り合わせに感謝しつつ、これまで継続されてきたご努力に深甚なる敬意を申し上げます。
さて、文学のうち、短い文章で表現されるものの特質の一つに、表現された言葉の裏に有る心をどう読み感じられるか、ということが有ります。それは、各人一人一人の美学の問題でもあります。日本人の感情を押さえる美徳はそこから生まれたとも言われています。そして、淡路市は、その市政理念の一つに継続と融和を掲げ、伝統文化文芸の継承を行政の責務と認識し、日々、努めています。それは、地方文化の維持推進を意味します。
花蜜柑に集われる方々が、今後とも日々研鑽に努められ、新生淡路市の文化の核として活躍されんことを祈念しながら、新たな旅立ちの壮途の言葉とさせていただきます。
花蜜柑 第25集 平成17年師走
心に咲く花(第26集花蜜柑によせて)
前集の巻頭言としてご挨拶を書かせてもらって早、1年が来ようとしています。
あの時、共に名前を連ねた恩師、故植松剛淡路市文化協会会長との別れは、私が弔辞を読むという時の流れとなりました。弔辞の途中、図らずも落涙してしまった私の心には、選挙のこと、再会のこと、学生時代のこと、そして小学生の時に洲本市で迷子になり助けてもらったことなどが、心の中を舞い散る花弁となって有りました。
これまで、歴史を重ねてきた「花蜜柑」にも同じようなことの繰り返しが有ったと思います。出会い別れそして出会い。その度に心に咲く花に託して、それぞれの珠玉の作品が生まれた筈です。
厳しいという故郷の行政運営は、こうした地域に根付く文化活動と一体となってこそ、その効力を発揮できます。
今回も又、こうして皆様方の作品に出合えたことを嬉しく思います。そして、これからも研鑽を重ね、益々、ご健勝にてのご活躍をご祈念いたしまして、お祝いのご挨拶といたします。
今在りて未完の花を若人の心に託す花よ咲け 康
平成19年3月
言葉の裏に心有り

北淡文苑第36集の発刊が、新生淡路市の誕生の年に行われる事を心からお祝い申し上げます。短い言葉にこそ、凝縮された想い、心が有ると言われますが、作品に至る時間と試行錯誤の重さがそうさせるのでしょう。詩に行間の密度があるならば、短歌、俳句には言葉の裏に心が有ると思います。北淡町文化協会の歴史の中で、これまで積み重ねられてきた作品の数々が、それぞれの芸術となって今に輝いています。それは、西海岸に沈む落日の美学と同一のものであると思います。
これからも、会員同志の相互連携により、共感を高め信頼関係を構築しながら、北淡文苑が益々発展し、淡路市の文化の中で歴史の一頁に刻まれる事をご祈念申し上げます。
もの言わぬ一葉の写真に涙して 秋空染まる北淡に立つ 康
北淡文苑第36集 平成17年H月
地域文化の継承
淡路市発足2年目を迎え、北淡文苑の37集発刊となりました。心からお祝い申し上げます。
地域の文化を守り育てていく事がどれほど大変な事か、言うまでもなくこれまでの歴史が証明しています。胡散無償する多くの同人誌にあって、北淡文苑が積み重ねてきた歴史の重みは、第37集という成果に有ります。
過日も、後継者が育たないと嘆かれていましたが、無理をする必要は無いと思います。
「来るものは拒まず、去るものは追わず」自然体の中にこそ、地域に根付く文化か有ると思います。
毎月、集まられて研鑽を積まれていることも、まさに崩壊したと言われる地域社会の再生のヒントだと確信します。今後とものご活躍と淡路市へのご支援をご祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。
爽やかにふき来る風に身を任せ 禁断の木の実にそっと手を触る 康
北淡文苑 平成18年10月
プロフィール
Author:サイバー門友会
――心は少年――
を信条とする かど康彦淡路市長を私たちはネットを通じて応援します。
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