故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

お前に任せた

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 故板野副知事は、県職員にとっては怖い存在でした。ある協議に副知事の了解が得られず困った職員が、私に仲立ちを依頼してきました。日程が取れずエレベーターの前で立って説明し、了承を得ました。「お前に任せた」。議場で倒れ、戦死とまで言われた副知事の言葉は、扉が閉まり最後まで聞けませんでした。その笑顔が別れになり、私には今も責務が残っています。

        ――心に残るあの言葉――『兵庫ジャーナル』平成20年1月14日


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  1. 2008/03/07(金) 13:38:36
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それぞれのうた (花蜜柑 第二七集に寄せて)

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 私にとっては、三度目の投稿になります。

 旅立ちから、別れがあり、そして十二支の初め、子の年にこの句集が出ます。

 前回の発刊では、今後のあり方について悩んでおられましたが、限界集落を五も抱える淡路市にあっては、無理な集約よりも、地域と共に生きる自然体も一つの選択肢ではないでしょうか。

 通りすがりの旅人の目線で見る景色、地域と共に生ある限り生活する景色の中の意識、そして旅立つ若者の価値観など千差万別のうたがあります。

 その集大成と継続が、花蜜柑の魅力です。

 淡路市にとって子の年は、検証と実行に基づく、「事業の推進と、新市二期目の課題整理」の年となります。

 行政の利益とは、民間の目的とは違い、結果であり備えという事でなくてはなりません。

 間違っても何かの手段に利用されるような事があってはならず、淡路市の将来を見据えた、品格のある執行が求められます。

 花蜜柑の文化の素養を、市の行政にも取り入れ、明日の美しい淡路市を目指す事をお願いして、ご挨拶といたします。

 故郷に忍び寄る 影の冷気に身を晒し 一輪の花懐に 凛として立つ 

  1. 2008/03/08(土) 20:44:29
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出会いと別れ

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 自宅(門下市塾)と看護大学の間の道を登校していく現役の生徒達が、最近、私の姿を見て挨拶するようになりました。

 道路を清掃しながら挨拶を続けて約三ヶ月。最近は、幼稚園、小学校、中学校そして津名高生さらには、大人たちも自然と挨拶を交わします。「美しい淡路市」運動の第一歩です。

 校舎の在る番匠が丘の桜が満開です。この記事が出る頃には、暑い盛りでしょうが、今はまだ肌寒い季節でもあります。自宅前の看護大学のグラウンドの周辺に、桜の木が植えられています。後、五年もすれば花が咲き、その前を子供たちが登下校することになるでしょう。通り過ぎる青春の群像をいつまで見られるのか。

 去年、淡路市文化協会の会長であった植松剛先生は、もう他界されました。

 代表して弔辞を読みましたが、涙が溢れて困りました。涙の原因は明確ではありません。子供の頃、植松先生は既に津名高校の教員であり、私の姉の恩師でした。本当の付き合いは、市長選挙の時からですから、二年間の中に凝縮された思いがそうさせたのかも知れません。

 人それぞれの出会いと別れが有ります。

 もう既に淡路市長として二回目の退職辞令を渡しました。旧町に就職し長年地方自治に尽くし、淡路市職員として職を全うした方々です。過渡期の手探りの混乱の中で、それなりの身の処し方をされた方もいました。「人生色々」と発言された方も居ましたが、色々であるからこそ素晴らしいと思います。

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 4月8日にも、一つの出会いと別れがありました。淡路市が設立後、最初の県議会議員選挙は、3期12年の現職を新人が破って当選しました。

 前者は70才代、地元在住、後者は50才代、東京からの帰郷という対峙構図に、どちらも故原健三郎代議士の縁の人という事で、接戦が予想されましたが、一万一千と一万五千票であっさりと開票は確定しました。いずれにしても、一対一の対決になると、二分されるという淡路島独特の結果となりました。一つの時代が終わり、一つの時代が始まる。繰り返される世の習いですが、別れには寂しさがあります。

 私の家の前を通り過ぎて行く青春の群像も、出会いと別れを繰り返しながら成長していくのでしょう。そして、津名高校の歴史の一部としていつの日か、登校途中に挨拶をしていた男が居た事を思いだしてくれるでしょう。

 美しい淡路市の原点は、そうした出会いと別れに有ると、登校する子供たちの背中を見送っています。門下市塾は、後継者育成塾です。

             津名高校同窓会 阪神支部報 平成19年7月20日
  1. 2008/03/10(月) 09:53:38
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津名の昔ばなし刊行に寄せて

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 淡路新市庁舎の市長室から、広大な埋め立て地と、大阪湾が見えます。かつて子供の頃泳いでいた海が埋め立てられそこに合併した淡路市の庁舎が建つ。市議会で開催された子供議会の参加者には、その歴史の体験はありません。誰かが伝えなければなりません。

 今とは、過去と未来の狭間に在って、永劫続く形のない掛け橋です。歴史はその掛け橋を渡って未来に続いています。

 それ故、今を生きる私達は、昔を未来に繋がなければなりません。

 今、志筑新島に「神戸の壁」が有ります。阪神淡路大震災の時、地震火災から耐えて残った壁をモニュメントとして選んできたものです。議論評価は別れていました。

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 しかし、歴史はその事に結論を出しました。5町合併により淡路市が誕生し、神戸の壁は、震源地の市のモニュメントとしての位置付けになりました。そして、神戸ルミナリエの光と鎮魂の会話を受け継ぎ、ライトアップすることで、淡路市からも世界に向けて平和と愛のメッセージを贈ることにしたのです。

 これらは、誰かが語り継がねば分からない事です。神戸の壁はいつかは風化して消えてしまいます。しかし、絵になり、童歌になり、そして昔ばなしになる事で、生き続ける事が出来ます。

 かつて私達が先人から教わった事が有ります。それは口頭でした。

 「昔は淡路島の中で、一番賑わしかったのは志筑やった。大きな問屋街が有り人々で溢れていた。カネボウ工場の誘致にその問屋街の旦那衆が反対し、工場は津名郡洲本村へ、洲本は市として発展していき今の志筑の状況になった」

 それらが全て事実の出来事であったのか、確認するのは難しい。それらの事全てを含めて、昔ばなしは、歴史を説き明かし、温故知新の礎となるものです。

 南あわじ市には「淡國写真帖」の名品が有り、洲本市五色町には「文學界新人賞」の語り部が居ます。

 淡路市(旧津名町)からは、この「津名の昔ばなし」が刊行され、それらに匹敵するものとして、子子孫孫に渡るまで受け継がれていくことを切に期待します。

 旧津名町は、淡路市の都市集積地域としてゾーニングされ、市の中核として将来の美しい淡路島の礎として在ります。

 幾世代かが過ぎ、その時の後継者達が、津名町とは何かを感じる事の一つとして、この本が在る事も祈念し、刊行に当たってのお祝いのご挨拶といたします。
 
  1. 2008/03/12(水) 08:44:14
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広報淡路 20年新年ご挨拶

 淡路市の皆様、新年明けましておめでとうございます。

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 新市発足、3回目のお正月を迎えました。これまで、市民の皆様と共同協調しながら、「継続と融和」「資産の見直しと再整備」「検証と実行」とそれなりの着実な推進を図ってきました。

 合併は破綻を回避し、持続可能な地域経営を選択する事から始まりました。そして何とか赤字を出さず、実質公債比率も25%以下に押さえています。

 今年は子年、十二支の最初の「新しい生命が種子の中に萌し始める」年です。

 淡路市も、市として実質的活動の年とするため、「事業の推進と新市2期目の課題整理」の年としなければなりません。

 「地域住民主導の地域作り」を目指すため、市民と共に明るい市の実現を目指す「夢」市民と共に安全安心な環境を目指す「故郷」市民と共に健全な財政運営を目指す「未来」のキーワードを連係させ、美しい故郷、美しい淡路市を目指しましょう。

 今年は、淡路市はまさに淡路島のゲートシティーとして、神戸明石大阪のベッドタウン的存在感を増しながら、単なる観光地ではなく、住民が住んで良かったと実感出来る「ご馳走のような市」として活性化再生を実現するための年としなければなりません。

 市民の皆さん共に努める事をお約束し、新年のご挨拶とさせいただきます。

  1. 2008/03/14(金) 09:02:25
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第二回 淡路島薪能に寄せて

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 静寂は、過疎地の淡路島にあって自然からの贈り物です。暗闇も又然り。その景色の中に佇む伊弉諾神宮を借景に、昨年しづかホールに灯された火が引き継がれ、携わる人は代わっても心を繋ぎ、今年こそ薪能の炎が社殿を染める。

 七年前、淡路県民局長当時の夢の一つに、故郷に薪能の復活の夢がありました。場所は伊弉諾神宮。昨年の第一回目は、皮肉にも故郷の雨に阻まれ屋外での開演は叶えられませんでした。自然との共生により「美しい淡路市」を目指す私達への、故郷の神神からのほろ苦い贈り物でした。

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 しかし、残ったものに言葉には表せない共感と達成感が有りました。

 万感の想いを今年の炎に託し、来島、参加していただいた方々への、地元を代表してのご挨拶とさせていただきます。有難うございました。

 来年も又、同じ季節に会いましょう。

                         平成19年8月19日 
  1. 2008/03/16(日) 06:51:16
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爽やかな自負

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 今年もわざわざ寄稿の挨拶文の依頼に、三人の方々が来庁されました。

 北淡文苑の、短歌会、俳句会、七星句会の代表者の方々です。文化を親しまれる穏やかなお顔に、38号の積み重ねの自負が感じられました。

 淡路市の三年目の歴史に比べれば、何と素晴らしい重みでしょう。

 合併して華やかな滑りだしではなく、残念ながら片翼飛行で飛び立ち、もがきながら飛行を続けている淡路市の一つの頼りは、地域に根付いている伝統文化です。

 そして、それらを支えているのは、各地域の在野の市民の根強い活動です。

 そうした心有る市民との連係が、将来の美しい淡路市作りに繋がっていくことは間違いありません。美しい日本を提唱された政治家は、個人としては挫折の歴史を刻みましたがその精神はこれからも生き続けなければなりません。

 淡路市と共に歩み続ける北淡文苑の方々に更なる壮途を祈念いたします。

 西海岸 落暉が静かに沈む時 明日の淡路を 古寺の鐘楼に託す 

  1. 2008/03/16(日) 07:06:14
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