故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

淡路市の公共施設の見直しについて。

県は、県立淡路病院の建て替え場所を市域内のカネボウ跡地と発表しました。島内の歴史と位置関係から判断したのでしょう。異論は有りますが、決定されました。
警察署の位置が、岩屋、洲本、三原に在るのと同じ視点です。淡路市だけに限って見れば、岩屋に在るのは異論の有るところですが、淡路島全体から見れば、北、中、南の守りでバランスが取れています。

教育施設の統廃合も進んでいます。南あわじ市は、高校が1校、洲本市にも動きが見えます。淡路市は、2校の分校が消え、いずれ淡路、津名の合併も噂されています。
淡路市は、念願の大学が誘致され、景観園芸学校に大学院が設立されます。統廃合の効果として、質の向上があります。

さて、淡路市の、保育所・園、小中学校の施設の見直しは、ポイントが三つ有ります。

1は、財政問題です。
一千億円を超える借金が出来ていたのは、5町経営を容認してくれていた国のお陰です。国は制度変更で、実質公債費比率を示し、地方に自立を要求しました。淡路市は、18%以下でなければならない率が、合併時すでに23%、5%もオーバーしていました。今、これまでの借金により、24、2%まで上昇し、イエローラインの25%に近づいています。早く、コストダウンを実施しなければなりません。

2は、少子による教育の問題です。
淡路市立小中学校・保育所適正規模等審議会の答申は、
小学校は、各学年ともクラス替えが可能で、複数学級の編成が出来る規模。数値化すれば、1学年2クラス以上、40人学級として41人。
中学校は、9学級以上の学級規模。1学年3クラス以上。40人学級として81人。
保育所・園は、年齢別保育(3歳児以上)の実施が可能となる規模。最低1人として3人。
が適正規模の概要でした。

教育論は、百人居れば百有ると言われます。少人数の教育を否定はしませんが、人間の心の教育は、適度の競い合い、運動、音楽を共に楽しむ環境、多数とのコミュニケーションによるところが大きいと言われています。

子供達と保護者があっての学校という視点がまず優先されるべきです。

3は、その方法です。
淡路市には、地形というハンデイーキャップが有ります。

大阪府のようにハードにやるわけにはいきません。言われるところのソフトランデイングを選択しました。

旧北淡町は、合併前の16年7月に、学校規模適正化委員会で適正規模は小学校は1校として、新市において財政面を考慮しながら統合と結論づけていましたが、環境が整うまで準備に時間を要してしまいました。

今は、子供達の教育と、地域の生活における核的存在の学校の考え方をきちんっと分けなければなりません。

子供達を増やす施策を行政はすべきと言う人が居ますが、それは、粛々として実行します。これまで、地域の実態がそうでなかったから、現実が有るわけです。

定住人口が増えて、子供達が増えれば、又、学校をこれまでと同じように建設すればいいのです。

今の状況を誰が作りだしたのかを冷静に反省し、現実を直視し、今はやむを得ない選択肢として公共施設を見直し地域がこれからどう在るべきかを、住民と一体となって考える事が大事です。


これらは、これまでの検討結果等の総括として挨拶などで述べた内容です。

淡路市全体として、本庁舎、水道事務所の建設中止、市民体育館計画を一宮中学体育館として計画変更。

都市機能集積ゾーンの津名地域ゆえに、総合事務所の機能縮小、出張所、温浴施設の廃止等進める緊急事態の中で、新しい学校、友達と交流したいけれど、地域の人達の気持ちを考えると言い出せない、といった保護者や子供達の声なき声に応える、今は、耐える時代ではないでしょうか?


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  1. 2008/07/04(金) 21:34:01
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西川光二郎小伝。

明治20年当時、洲本は津名郡内に在り、郡内一校の津名高等小学校は洲本に在った。
光二郎の自宅は、淡路市(旧津名町)佐野、佐野港近くの中村恵比寿神社近くに在り、学校まで15キロの距離、下宿して登校したのが、11歳の時でした。
卒業以来、殆どを島外で過ごした光二郎に、土着の淡路島人としての意識が何処まで有ったのかどうか分からないが、「初めての社会主義者からの転向者」と評価される人間性は、興味深い。「社会主義の考えの通り社会の制度さえ改革すれば、世の中に貧乏人が居なくなる」と信じる事から「自己改革すなわち教養という事に、一切お構いなしの連中が、社会の改革ばかり叫んでいるのは果たして良いのか悪いのか判らない」と疑問を生じるようになるバランス感覚は、素晴らしい。

市内在住の方の意見を紹介します。
「戦後の動乱期、共産主義革命が叫ばれ、東大を初め旧帝大では教師の多くがマルキストだった。その流れが、日本の思想界や教育界に与えた影響は大きく、今、その検証が始まっている。それを、あの時代にいち早く感じ、社会主義を離脱宣言と共に離れた光二郎は正しかった。功名心のため社会主義に近づいた幸徳秋水とは違う。」

1901(明治34)年の春、幸徳秋水など6名が、わが国初の社会主義政党、社会民主党を創設した。その6番目の男は、4回の入獄を繰り返した後、社会主義運動からの離脱宣言を発表、社会主義者からは、裏切り者のレッテルを張られ、特高からは、特別要視察人として付け狙われる生活をしながら、道徳、論語、大学・中庸などを説いて、全国を7000回も巡講したと言われれている。

転機の切っ掛けの一つに母の死が有ると言われているが、「兄弟の中の不遇なものの名を呼んで事切れた」母の最期を光二郎がどの様に感じたのか。島を出て本土に渡る時、特別の思いが有った時代のことで、想像絶するものが有ったに違いない。

光二郎の生き方とは、思想より人を大切にした事ではなかったか。

社会主義から、黙って逃げ出すか、ほとぼりが冷めるまでなし崩しにするか、方法は有ったものを、官に強いられる事無く公刊し、自ら退路を断った潔さは、14歳までの島内在住時に培われたものなのか?

大正15年、光二郎50歳の時、「自働道和」巻頭言の国民反省の時にで、「今は実に、労働を辛抱を嫌い、自己を責めずして、他をのみ責めたがる時代であります。而して又、斯かる不心得者に媚びる言論のみ流行する時代であります。自国を呪うものは、新思想家として迎えられ、国を愛すべしと説く者は、頑迷の輩として笑はるる時代であります。こうした国民に対し、一番大切な忠告は、言うまでもなく「反省せよ」の一言であります」と述べています。

時代は変わっても人は変わらない。そのまま、現在に当てはまる言葉でしょう。

昭和15年、64歳にて逝去。墓石は多磨墓地に在り、佐野には無い。

有志から淡路市にて顕彰できないかという依頼が有ります。皆さんどうでしょうか?

  1. 2008/07/05(土) 20:37:36
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「記憶の無い同級生」津名中学校第一回卒業生 門 康彦

米国でケネディー大統領が誕生し、日本の国会に全学連が突入した年、1958(昭和33年)年志筑中学校に入学した私達が、3年生になる1960(昭和35)年4月、津名中学校志筑教場の生徒になりました。言われるところの、津名中学校第一期生の誕生でした。

 昭和の市町村合併の最中、まさに過渡期の時代にあって体験した事ごとを、平成の合併の当事者として県民局長として関わり、淡路市初代の市長として就任する歴史の不可思議さを当時は、想像すらしていませんでした。

 1961(昭和36)年3月14日の卒業生の住所録に、校長・神代勝一、担任は、志筑教場1組宮崎和見、2組亀山忍、3組大岡吉夫、4組奥殿荘一そして大山明美とありました。男子学生の殆どが丸刈り、女生徒はセーラー服姿でした。

 2004(平成16)年、津名ハイツで同窓会が開催された時、191名中、物故者は14名、参加者は64名、感動の再会でした。

 現在の志筑小学校付近に木造の校舎が在り、朝礼の風景を写した写真に、当時の津名高校のグランドに面した私の生家が写っていますが、今の市街地の面影も有りません。

 私達一期生は、現在の校舎には入っていません。その予定地の荒地に行った記憶だけが有ります。敗戦の年に生まれた子供達も、還暦を過ぎ、第一線を退いた者も多く、そうした者達が、出会い、同じ一期生で有る事を知った時、幾ら思い出そうとしても出来ない、記憶の無い人が居ます。原因は明白で、そういう時代を共有した存在感は有ります。

 教場は、志筑以外に、生穂、佐野と在り、倶楽部活動などで親しかった者か、同じ高校へ進学したものでないと、知り合う機会が無かったのです。半世紀を経て、記憶の無い同級生が再開し、美しい淡路市作りを目指す学年、それが、第一期生の思い出です。

  1. 2008/07/17(木) 20:40:16
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淡路市の国際交流について ―長沢アートパークの歴史的意味―

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 淡路市には、明確な国際交流のコンセプトは今のところ残念ながらありません。旧5町がこれまでしてきた事を継続しているだけです。

 旧北淡町とセントメリース市、旧一宮町とパース・ピンジェリー市のホームステイ等の交流が、淡路市国際交流協会のお世話で何とか続いています。また、国の事業の外国青年招聘事業、民間が独自で展開している就職等の事業がありますが、いずれにしても市の主体的な姿はありません。

 唯一、海外のアーティスト達が日本の水彩多色摺り木版技術を学ぶため淡路市に滞在し、その期間中に地元住民と交流を深めたり、市内の学校を訪問したりする、「長沢アートパーク事業」が、旧津名町から引き継いだものではありますが、主体的に関わっていると言えます。

 1997年から、28カ国、103人の招聘等の実績は、世界的な評価を受け、まさに淡路市の歴史の中で意義深いものになっています。ただ、10年以上の時間の経過は、現実として招致方式から参加方式への転換、そして地元地域住民の意識の変化の中で新しい活動の意義を模索しなければならなくなっています。淡路市も設立から4年目を迎える今年、トータルとしてのコンセプトを明確にする事を課題としています。長沢アートパーク事業の更なる発展を祈念しながら、協調して国際交流の質を高めていきましょう。

2008年3月

淡路市長 門 康彦


International program of Awaji City
―A short review on the history of 'Nagasawa Art Park Project'―

Yasuhiko Kado

Mayor, Awaji City

At present, Awaji City does not define its policy on international relation issues. Mostly, the international programs have been inherited from the 5 original towns.

There are two international home-stay exchange programs that are greatly supported with the efforts of the Awaji City International Association.
They involve the former Hokudan Town and St.Marys City, and the foromer Ichinomiya Town and Pinjelly City in Perth. There is also an International Youth Exchange Program supported by the National Government, and a privately sponsored job support program. However, Awaji City does not commit to these programs.

Nagasawa Art Park Project (herein indicated as NAP)is a Printmaking training program for international artists. It was also inherited from one of the 5 original towns, Tsuna Town, to the City. The printmaking artists visit local schools and join with the City staff the community events during their residence.

Perhaps NAP is the only one of international programs that the City gets involved with. The project started in 1997, presently 103 artists have participated from 28 countries. It is now acknowledged as a self-development residency program for international artists.

On the other hand, while the NAP has been running for over ten years, the social background and the people's sense of values have changed. As a consequences NAP has had to change its program conditions to continue sustainability. Including, for example changing the program's duration and changing participation from being fully supported to partially paid.

This year, on the occasion of Awaji City's fourth birthday, Awaji Government is going to define its ground disign concept. I wish NAP could still further improve its endeavor, and its promotion to meet international needs, elevating an already high quality international program for Awaji.

March 2008


  1. 2008/07/17(木) 22:39:30
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