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故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

淡路市を考える会2011年新春号について。

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8年ほど前、「前県民局長、舌禍騒ぎ」と新聞で論じられたことが有ります。
母校、津名高校でした講演の内容を、故郷の雨1に掲載し、その内容がけしからんと指摘を受けたからでした。ただ、新聞社のうち2紙は書きましたが、他紙は書かなかったので、その内容評価は賛否両論に分かれていました。「当然の指摘」と賛意を表してくれた記者もいました。
さて、平成23年の会報、全島に配布しましたので、色んな意見が有るようですが、下司の勘ぐりのような意見がありましたので、説明します。
淡路市を考える会では、年の初め、これまでの総括と、新しい年の儀礼的な挨拶として会報を毎年発行してきました。
今年もその延長線上の事業として、また、淡路島3市時代にあって、協働協調しながら淡路島の運営をしていかなければならない状況下で、淡路市の市長の考え方等を島民に知ってもらう目的以外、何物でもありません。
過疎化する島で、島民がどう考え、行動しなければならないのか、それにはまず情報の共有化と相互連携が優先されます。そして当然、首長は伝える難しさを認識した上で、事実を伝える努力を続けなければなりません。
私達の年代は、平和、反戦を学びました。しかし、その平和をどう守り、国や家族を守るための戦いの意味は、自分達で学ばなければなりませんでした。本当の意味で、島を守ってきた人達の歴史の中の片隅に居る自分自身を意識しないのでは、首長たる資格は無い。
淡路島は今、岐路に立っています。諦めてジリ貧の流れに身を任すか、それぞれがそれなりの行動力で突破を図る努力をするのか?
そして、それらの力を倍増するためには、仲間が必要です。そのためのメッセージを込めた会報でした。
さて、嘗ての修身教科書の二宮金次郎。そのエピソードに、「境涯を嘆かず、勤勉、努力家、人を羨まず、親孝行をし、苦学して世のため人のために生きる」
日本人の理想の一つでも有りました。
いつの間にか、文句を言うことが正論のような思想信念が跋扈する風潮が万延しています。
淡路島3市は、いびつなライバルとしてではなく、お互いに足りないところを補完しあえる仲間、パートナーとしてあらなければなりません。
淡路市を考える会とは、淡路島を考える会と同意語です。
パフォーマンス全盛の感のある地方自治、言葉を変えれば空威張りの鳥のようなもので、例え、無理としても、「木鶏の境地を目指す」心だけは失いたくありません。
それは、これまでの先人達が掲げてきた、「淡路島は一つという理念」に、泰然自若として積み重ねていく情報発信そのものなのです。
そして、来年の会報を楽しみにしていてください。

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  1. 2011/03/01(火) 13:49:11
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街創りの一手。

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東国原前宮崎県知事の一つの評価に、「メデイアを使った巧みなPRで観光客、県産品売上の増加。県職員の士気も上がり、瀕死の県を救った。トップの交代でこれほど変わるものか?」とあり、県民支持率90%を超えたと言われる実績は街創りの参考になります。
又、福谷弘先生の淡路学の覚書(第二分冊)に、「島として地域経営のための初めての本格的調査は、平成15年度、淡路県民局が風土工学的手法によるイメージ戦略モデル調査を行った。門康彦淡路市長が県民局長時代の施策」そして、津名学の覚書(第一分冊)の、「津名郡地域は地形と地勢、それに由来する風土により独自性が強く、新市として求心力を如何に高め、多極分散型の地域づくりの舵取りは難しい」に繋がっています。
そして、「新生淡路市(津名地域)は、有史以来の転機にあり、その使命は、どのようなまちづくりをすれば、島の振興に貢献出来るのか、その双肩にかかっている」と望まれています。
アジアポート構想から30年、念願の本格的企業誘致が動き始めました。
淡路市の街創りの最大の課題は、企業誘致。合併から6年が経過しようとしている今年、緩やかに風が吹き始めました。
その端緒となったのは、山本光学(株)の誘致でした。始まりは、東浦地域の工場に挨拶に行った事から、大阪本社への挨拶、徳島工場の視察、そして未利用施設(旧北淡東中学校)の公募による誘致の成功へと繋がりました。学校は新たな地域の顔として蘇り、地元雇用も進んでいます。
そして、東洋合成工業(株)の誘致は、旧津名町職員OBの市民からの情報から始まりました。「千葉の企業が、関西に事業の展開を図る計画が有る」直ぐ、職員を派遣しました。
それから、双方の視察、説明会等を経て、木村社長の英断で、淡路市を選択していただきました。その契機となったのは、県企業庁が、環境配慮型企業に対する用地代を半分の単価にした事です。
市としては、環境整備として、埋立地最後の工事、生穂新島の北側の橋梁の完成、工業用水の確保、道路整備等の街創りを推進しました。
そうした誘致活動の中で、一番のポイントは、職員の努力、熱意でした。
地域行政の現場の最前線で、危機感を肌で感じ、難しい課題にも積極的に関わり、耐えて積み上げた人間力でした。
勿論これからまだクリアーしていかなければならない課題は少なく有りません。人材、公共交通等の見直し、そしてそれらに関するソフト事業等です。
街創りは、点から線、そして面へと展開し、淡路市の場合は指摘されているようにバランスにも配意しなければなりません。
そして、誘致した企業とどう連携し公私協調の街創りを展開していくのか、それが、次の一手にならなければなりません。
最後に、多くの関係者に市民を代表して、感謝を申し上げます。

  1. 2011/03/18(金) 15:18:44
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