故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

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志筑川放水路(完成式典挨拶要旨) 2014H26.6.25

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まずは、用地を提供していただいた市民の皆さんに感謝を申し上げます。
そして、2006年平成18年から9年間、工事に協力等していただいた地元等住民の皆さんにもお礼を申し上げます。
そして何よりも、県でも珍しい工事を完成させていただいた、県土木部に市を代表してお礼を申し上げます。
さて、この事業は、三人の意見交換会から始まりました。
当時の上田県民局長さん、原田土木事務所長さんと市長の私でした。
長年、繰り返されてきた志筑川の溢水は、地元消防団の努力を持ってしても限界が有り、地盤沈下と海面上昇の状況により対策は難航していました。
川と言っても溝のような形状の志筑川、水は短時間に溢れ引きます。その瞬時の対策が出来ないかと言う事で、提案しました。
「宝珠川が溢水しない条件で、志筑川から水を宝珠川に引けないか?」文系の市長の夢のような話を、理系の原田所長が引き受けてくれ、上田局長に相談して事業は動き始めました。大げさに言えば、1902年明治35年、港湾近代化と防災を目標に施行された、洲本川改修事業に匹敵する事業でもあります。
当時の本庁土木部の幹部が、「何という事をするのか」と言ったとか言わなかったとか側聞しました。
振り返れば、この三人、県庁の土木部で汗を流した仲間でした。
改めて、この事業を動かしていただいた皆様方に市を代表してお礼を申し上げます。
また、折角の事業ですので、側道部分を市が分担して拡幅し、市民の通行の利便性にも配慮しました。
さて、水害のハード対策は、今考えられる最高の手法で完成しました。
後は、適正な管理と対策です。上流の溜池の適正管理、水量の的確な把握、そして想定外の事に備える消防団等と連携した災害予防対策です。
折角施行していただいた放水路が無駄にならないように、淡路市としても万全を期してまいりますので、兵庫県におかれましても、今後共のご指導を宜しくお願い申し上げます。
また市民の皆様には、側道が拡幅され便利になった分、交通事故等が懸念されます。ご配意をいただき、この放水路事業が後世に誇れるようにご祈念申し上げ、市を代表してのお礼のご挨拶とさせていただきます。

*工期   2006H18~2014H26     *2004H16.10
*延長   約750m 中田大円道~田井福田寺裏    台風23号志筑最大雨量
*総事業費 約32億円(外・側道市道1.2億円)    356(77mm/h)

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  1. 2014/08/10(日) 15:17:29
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裏千家前家元 千玄室大宗匠(せんげんしつだいそうしょう)歓迎挨拶要旨


千玄室大宗匠をお迎えし、茶道文化講演会が開催されるにあたり、地元市長、そして一般社団法人 茶道裏千家淡交会近畿第三地区 淡路支部の副支部長として、歓迎のご挨拶を致します。

淡路島における茶道の歴史は深く、特に、「志筑の茶は違う」と称せられた興隆の租は、明日庵宗伯・浜中常吉(つねきち)(文久3年1863年~大正14年1925年)まで遡ります。
そして、宗伯が、閑日庵宗悠(正木長八郎)ら志筑の粋人有志と茶を始めたのが、明治43年1910年、104年前頃です。

その頃、京都から裏千家12代、又玅斉直叟(ゆうみょうさいじきそう嘉永5年1852年~大正6年1917年12月8日)が志筑の浜中家に来られ、その指導を受けて、明日庵が作られました。大正元年のことです。(1912年8月8日)それ以来、志筑の茶会はより盛んになりました。

私の亡き母も、自宅の一室を茶室にして、友達と楽しんでいたのを記憶しています。
(私の家を拠点にしていた私の友人たちにとっては、大いに迷惑でしたが)

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旧一宮町明神の船持ちを祖として志筑の大地主であった浜中常吉さんは、嗜みの茶から茶道へと高め、その明日庵は、高島ふさ子さんに移譲、旧津名町に寄贈され、10年前の淡路市誕生により、淡路市が継承、紆余曲折を経て、淡路市から高島家に返還され、今は高島家から、一宮地区に在る伊弉諾神宮に寄贈され、市民を楽しまさせてくれています。

西海岸を祖とする心は、東海岸を経て、又、故郷に帰った不思議な縁の物語は、パワースポットの島と言われる淡路島に似つかわしいものです。

その島に、千玄室大宗匠をお迎えし、今や世界的に広まったキャッチフレーズ、「一盌からピースフルネスを」の心を聞く機会を得ました事は、言葉に尽くせない感激であります。

淡路市民、島民を代表して、歓迎の言葉を申し上げますとともに、良き機会を与えていただきましたことに深く感謝を申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。【2014H26.6.29国際会議場 (文責:門 康彦)】

(参考文献:津名町史、一服どうぞ、淡交タイムス)

  1. 2014/08/20(水) 15:16:33
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「さまざまなこと」裏千家・千玄室大宗匠・講演概要聴取 2014.6.29(一盌からピースフルネスを・淡路のつどい)  (文責:門 康彦)

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1 淡路島と裏千家
 10代認得斉が蜂須賀家を訪れた際、淡路島を経由して往復しました。そして11代玄々斎からその交流は盛んになりました。
 12代又玅斉が明日庵の指導をし、門淡路市長が挨拶で言われていたとおり、浜中家から高島家(淡路市)を経て、現在、伊弉諾神宮に寄贈されています。

2 文化について
 現在、ユネスコ大使と国連大使を勤めています。文化遺産は50名の委員で選定していますが、現在、1007件、1500件まで認定する予定です。富士山は美帆の松原とのセットが決め手となりました。アユタヤ(タイ王国)の遺跡は、大洪水により遺産の具体的物件名を明記できないでいます。
 淡路島は、人情暖かく、おもてなしの心厚く、人形浄瑠璃、地元の祭りも盛んです。「淡路島全体を文化遺産」にしたらどうかと思います。充分に資格は有ります。

3 世界観について
 中国は少数民族の問題が有り、ユネスコには不参加であり残念です。
 日本人は、語学力では諸外国に後れをとっています。ハーバード大学への留学も、中国、韓国の方が人数が多い現状です。観光立国を目指すなら、高校生くらいから留学を体験し、語学力をつけなければならない。
 
4 茶道とは
 まずもっておもてなしの心。見下ろしたら駄目で、見栄を張らなくていい。
 謙虚な気持ちで前に進む心を大事にし、お茶をいただく時に正面を避ける心が、本当の作法、本当のお茶。
 利休の和敬清寂の立ち位置を再認識しなければ茶人とは言えない。

5 平和国家について
 米国に守ってもらって69年、沖縄の労苦を忘れてはならない。敗戦国家から立ち上がり独立国家を目指さなければならない。
 元軍人として、過日、沖縄の青い海に、緑茶を献茶してきました。武士道としての気持ちからです。青い海に緑が広がっていく光景に、改めて平和の尊さを祈念しました。

*録音が無く、一人の聴取のため文意をお汲み取り下さい。

  1. 2014/08/21(木) 16:27:57
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