故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

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老人の世界

 二〇一〇年平成二十二年、私は六十四歳になる。

 二〇〇六年平成十八年の三月三十一日、今の制度で行けば兵庫県を退職する。

 その、二〇一〇年をピークにして人口は減少に向かうと予測されている。

 そして二〇二五年頃には、生産年齢人口(十五~六四才)の半分近くに六十五才以上の人口がなるとも予測されている。その時私は、七十九才。
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 日本の一般社会生活を今の制度の延長で維持していくためには、少なくとも六十五才以上の老人達の内の二十五%、四分の一程度の人達が何らかの形で自活しなければならない。

 人の世話になる恥を受け入れ惨めに生き続けるか、毅然として死を迎えるまで生きるか、これは美学の問題である。

 人はいずれ老化する。その時、どう老化するか。例えば、顔に出来る皺。それは、笑顔の皺でなければならない。そして、何よりもその姿勢、爽やかでなければならない。

 心身とも健全でなければ、それは達成出来ない。そのためには、今の積み重ねが重要な事となる。

 かつて、淡路島出身の代議士原健三郎は失言問題で労働大臣を棒に振った事がある。

「怠けていると最後は老人ホームに行かなければならない」言葉の前後を通して理解を要する言葉なのだが、その言葉だけを利用され、老人を侮辱していると非難されたのだが、一面の真理を突いている。

 若い時に好き勝手をして生きてきて、面倒を見てもらうのが当然といった態度。生活保護を受けずに頑張る態度。どちらも多寡が人生における人の生き方ではあるが、意味が全く違う。頑張った人にはそれなりの評価が必要であり、てきとうな人には、てきとうな評価が似合いである。

 そうならない為に、日頃からの研鑽が必要なのである。

 老人にも生きざまがあり、何よりも美学が必要である。
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  1. 2007/10/23(火) 21:47:26
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