故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

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神戸の壁の説明責任

   earthquake a

神戸の壁は、昭和初期、神戸市長田の若松市場の延焼防火壁として建てられ、神戸大空襲と阪神淡路大震災の二つの大火に耐えました。

人間は、人として守らなければならないものが有ります。

旧津名町時代、悲しみを風化させてはならないと、2000年1月、しづかホールの横に、タイムカプセルと共に、神戸の壁を誘致しました。

10年以上経過する時間の中で、津名町の壁は淡路市の壁となり、西海岸の震災記念公園、東海岸の神戸の壁と、二つの震災記念メモリアルとして在りました。

しかし、累計で700万人を超える来場者のある、国の天然記念物に指定された野島断層を保存する震災記念公園と比較すると、神戸の壁は、これまでその存在を正しく伝えてきたかどうか問われ続けてきました。

元々、旧津名町の住民からは、その違和感について議論が有り、合併後のクリスマスに、神戸ルミナリエの鎮魂と平和のメッセージの光を受け継ぎ、神戸の壁をライトアップしてコンサートを開催し、震源地の淡路市の心を光に込めて、世界に発信しました。

本来ならばもっと早くしておかなければならなかった事ですが、三月に完成した震災記念公園のリニューアルを整合させ、環境が整った20年6月に移転の決定をすることにしました。

歴史の偶然は、二百万人以上が被災したと言われるミャンマーのサイクロン、そして四川省の大地震と呼応し改めて警鐘の鐘を鳴らし、震災記念公園の魅力を高め、修学旅行生など学生の修学の参考とします。

また、経費は、このような事にしか使えない、震災記念公園基金を充当、有効利用し、工事に当たっては市内業者など地域経済の活性化にも資する事とします。

これまでの経緯を尊重し、旧津名町長柏木氏などに説明了解を得ました。また、神戸の壁でこれまでイベントを続けてこられた神戸市の三原さん達からは、感謝のお手紙をいただいています。

移転予定先の地権者にも同意を得ています。

先日、株式会社北淡の地震基金から、ミャンマー、四川省の災害に対して義援金を送りました。僅かなお金ではありましたが、心を届けています。

そして、ハード整備として、人工の神戸の壁を、天然記念物の断層の見学通路の一角に設置し、生きた教材として、防災教育の拠点として、記録と記憶に留め、これからも、阪神淡路大震災の悲しみを風化させることなく、後世に語り告ぎ、この淡路市から警鐘を鳴らし続けるモニュメントとして再生することが、生き残った者の責務として、ここに提案をいたします。

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  1. 2008/06/21(土) 18:23:18
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