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故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

新生、淡路県民局

 未明、静まり返る田舎街のアスファルト道路に、規則正しい駆け足の音が近付き、追い抜いて行く。遠ざかる少年の背に、自身を鍛える自負と矜持が見られた。時代は変わっても変わらない人がいる。

 一方、「権利だけを主張し、義務を忘れる」「思いやり無く、自分の事だけ考える」「安全な時には威張り、有事の時には逃げる」思い違い勘違いの思考の氾濫で、正論が肩身の狭い思いをする世界もある。

 そうした中、21世紀は、「宇宙への世紀」「環境の世紀」等と言われていますが、淡路島にとっての21世紀はどう在るべきなのか。新しい世紀の始まりの年に、現地解決型の総合事務所として淡路県民局が出発しました。

 過渡期の時代の中に在って、物理的に島で無くなった淡路地域が、かつての盛況を取り戻しにかかるのか、新たな世界の創出を目指すのか、淡路からの発信という命題を背負って新生県民局と淡路の人々との協働が、今、問われています。
Put a future
 県民局は、地域ニーズに迅速に対応し、より効率的な体制のもと、質の高いサービスの提供を目す。住民の皆さんは、将来の地域の在るべき姿について自主的、主体的に取り組んでもらわなければなりません。

 量よりも質へ、多様化する価値観の中にあってこそ、中原中也の「つみびとの歌」の一節が思い出されます。「下手な植木師らにあまり早く手を入れられた悲しさよ」。環境立島・公園島淡路へ向かって参画と協働の理念を遂行する為にも、「川の流れは両岸から見なければ分からない」視点の柔軟さと、地道で地味な作業の積み重ね、そして断固たる決意に基づいた継続が必要とされます。

 何よりも大事なことは、本物を追及する高い志ではないでしょうか。表面上だけを取り繕い、無責任な対応に終始しても、何処吹く風といった態度が横行していますが、日本古来の文化に培われた美学を今こそ見直し、再認識する時ではないでしょうか。

 それらの実現のためには、見えるものとして島の整備があり、それに心を入れる為に、大きな意味での教育が有ります。厳しさの無い家庭には本当の思いやりは生まれません。責任放棄の何でも平等の鍛錬からは、ヒーローは生まれません。

 さらに、淡路の将来を語るには、市町合併の課題を避けては通れません。県民局の立場は、「将来の地域の有るべき姿について、地元において幅広い論議の中で自主的、主体的な検討が行われるよう、必要な情報や適切な助言等を行い、自主的な合併についての機運が高まり、具体的な段階に入れば、広域的な観点から必要な支援を積極的に行う」事です。

 環境立島は、住民の厳しい選択から、ある意味での奉仕から実現可能となります。明日に向かって、共に一歩を踏み出しましょう。淡路島独立の気概を心に秘めて。

                                        淡路県民局長 門康彦 拝
                                      淡陽ニュース 平成13年6月
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  1. 2007/10/23(火) 22:13:46
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