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故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

推薦文   特殊と一般 「歴史(普遍)への道」   淡路市長 門 康彦

人は古来から、生きる縁の一つとして、真理を求めてきました。

 普遍妥当性を持つ認識、知識である真理、正しい物事の道筋は、有限の存在で、変化に弱い人間にとっては、魅力有る存在です。

 古来から、「人は不安から出発し哲学に至る」と言われてきました。一つの感情である不条理に遭遇した時、人は色々な手法で解決を目指しました。

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 一般的に人間存在の独自のあり方を実存主義と認識するなら、真理とは、特殊なものと言わざるを得ない。

 又、一般論が、個別的、具体的な問題を保留したまま、一般的な事柄だけを論ずるものであるとしたら、特殊とは、個別的、具体的な事柄を意味するのであろうか。

 特殊とは、普遍と異なり、特別で有るのだから、そうであるとは言い切れない。

 個別的、具体的とは、この場合、一般論に対して使われているに過ぎず、特殊な存在になるためには、止揚という過程を経なければならない。

 それは、真理に近付く一手法であり、物事が発展するには、低い段階で、諸要素が互いに対立し闘争し、内的に浸透しあい、その過程を通して統一され、高度に発展されなければ、ならない。

 そして、否定から昇華し、高度に発展した事態の中に諸要素が保存された時、止揚は、一応の完結をしたと言える。

 即ち、一般から特殊に至る道筋は、突然現れるものではなく、繰り返し営まれてきた人間の知性の必然の結果として在るものと言えます。

 侍が士で在った時代、そしてそれらの倫理観が廃れた現代、日本人はそれなりの成長をしてきたはずで、止揚された結果と思いたいのだが、見える世界は違うようだ。

 であるとしたら、私達は今の時代に何をしなければならないのか。

 その問いに応える論文がここに有ります。

 「歴史の転換点」に立って、特殊と一班を基軸に、歴史(普遍)への道を探る漆原元氏の論文は、日本民族の存在を探る一助に値するものです。

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  1. 2009/07/12(日) 10:11:09
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