故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

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先輩と後輩の小考。

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最近の若者たちは、食事等に行った時、カップルでも割り勘にするという。そんな場合は、円まできちんと割るといいます。
僕たちの時は、先輩後輩の関係であれば、必ず先輩が後輩の面倒をみました。
学校を卒業し就職をしてからも、その関係は崩れませんでした。例え、先輩の方が裕福でない場合でも、金回りの良い後輩に奢ってやり、後輩は、「有難うございました」の言葉で別れたものでした。
先輩がお金を持っていない時、彼は、何かで工面して処理しました。そして、どうしても都合がつかない時は、今日は所用が有るからと、一人消えたものでした。
何の根拠もなく、学年が一年違うだけでそうしたものでした。
現代では、巷に、平等という差別が生まれています。小学校の運動会、全員手を繋いでゴールするのは、足の速い子供に対する差別という見方も出来る。それらを平等にするのなら頭の勉強の方もしなければ片手落ちでしょう。何でもかんでも平等等という世界は無いはずで、それら全てを覚悟して生きるということを本来、教育すべきと思います。

さて、ずいぶん昔の新聞記事の切り抜きを見つけました。(原文のまま)
「同人雑誌評。ふかいあさ3号、兵庫県津名郡津名町志筑1438。かなり多くの作品が集められているが、冒頭の「白い朝」(門康彦)について書く。大学時代空手の達人と言われた主人公が故郷から上阪し、かつての先輩と会うが、彼には往年の覇気は無い。主人公は失望し、過去を回想し、落暉会という右翼結社が何処に行ったか考える。梅田で酔っ払いと喧嘩をし、偶然そこで後継者と出会うが、空しさは変わらぬ。真の日本人の生きる道という至高な道を求めて得られなかった落胆を描く。その最後の点が中心であろうが、それについては表現が非常に単一で、読者には真の右翼とは何であるか伝わってこない。この点をもっと描き込めば、格段に優れた作品になったはずである。文章は読みやすく、それはこの場合、それだけ内容に立ち入っていないという事になるのではないか。(地)」
今、読み直してもこの論評、鋭い。先輩と後輩、この不可思議な縁を、情感に頼って書き下ろした作品でした。
この切り抜きを送ってくれた後輩は、外人部隊に消えました。

どのような世界にも、先輩、後輩は存在します。勿論、同僚もですが、それらが連携して社会が成り立っています。
テロリスト集団から見れば、敵はテロリスト。この不可思議な宇宙船地球号に寄生する人類、魑魅魍魎であればこそ、その中で、矜恃高く、そして何処までも気骨で在りたいものです。

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  1. 2011/09/15(木) 07:54:52
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