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故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

淡路文化会館に望むこと

 淡路文化会館が開館した昭和四十七年、グァム島から天皇の兵士が帰還し、戦争を知らない子供達が浅間山荘、テルアビブ空港で戦争ごっこを繰り広げた。以来、大鳴門橋、明石海峡大橋の架橋により島内外の移動時間の短縮は、その価値観と視点を微妙に変えた。そして、敗戦直後、二十三万人を数えた島の人口は、空港計画の挫折や鐘紡洲本工場の閉鎖により、過疎、少子、高齢化への加速を強めた。

 文化は、人の数だけ有ると言われる。さすれば、淡路文化会館は、十五万八千弱の価値観を有する事となる。静かな景観に恵まれたその佇まいは、自然の懐に抱かれた侘びと寂の優位性に守られている反面、やはり過疎、少子の現実にも直面する二面性を有している。その多様性を克服した時に、文化会館の新たな未来が開けるような気がする。それは、淡路島という風土の中に存在する宿命でもある。
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 幾多の人材を輩出しながら、淡路がその文化圏を確立出来ない原因の一つに温故知新の感性の欠如が有るように思える。嘗て「淡路に文化は不毛」と先輩達が自嘲を込めて表現したシャイな美学を誤解してはならない。今こそ、この三十周年を期に、文化だけでも淡路は一つという正論の感性を希求する先兵になる事を望みます。

 今、淡路は、大きな時代の変革期に遭遇しています。茶髪にサングラス、くわえタバコに携帯電話をかけながら片手運転でたんぼ道を疾走する若者達。一方、伝統の文化を守る若者達、そして、将来の淡路の為に市町合併を議論するリーダー達、それぞれが、その価値観で今を生きています。人は一人で生まれて来て一人で死んで行く。その間の生き様が大事で有ると言われる。詩で言うところの、行間の密度である。

 これだけの自然のストックと可能性を持った文化会館が核となり、新たな展開を発信する事が、今、真の意味で必要とされているのではないでしょうか。

 歴史を動かすのには、目に見えぬエネルギーを必要とします。また、地道な人知れぬ努力の積み重ね、そして継続の力も大事です。バラバラの人材を集積し、明日に向かって一歩踏み出す勇気を記念の時に期待します。

 三十周年、おめでとうございました。
                                           平成14年11月
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  1. 2007/10/24(水) 10:34:42
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