故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

平岡節郎先生著「淡路の生んだ偉大な俳人、政治家・永田青嵐」に寄せて。 淡路市長 門 康彦

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淡路市唯一の造り酒屋「千年一」、その女将さんから雑俳の名句を紹介してもらった事が有ります。
「運不運 秀やんおらと同い年」今でも淡路島だけに残ると言われている雑俳句。13年前淡路県民局長に就任しての祝いの会で、島の文化の事が話題になった時も、雑俳という事は知りませんでしたが、不思議とその俳句だけは知っていました。
時の鉄道大臣、永田秀次郎(青嵐)が、洲本港から故郷の旧緑町倭文まで凱旋の提灯行列をした時、沿道で見ていた女将さんの父君が詠まれた名句です。
永田家は、今、県議会議員の秀一先生が守られていますが、縁を遡ると、淡路市志筑に在住されていたこともあり、繋がりが深い。
時代を100年ほど前に遡ると、当時、淡路島の人口集積地と言えば、福良(南あわじ市)、由良(洲本市)、志筑(淡路市)の三か所。津名郡洲本村の有志が、用地を無償譲渡しカネボウを誘致、後の1市10町の礎を築き、今の三市に繋がっています。
以降、鳴門海峡、明石海峡の大橋架橋を経て歴史は動いてきました。
そして、又、歴史は動こうとしています。明石海峡大橋の料金が、乗用車片道での2300円から850円に値下げされるからです。
架橋後島を襲った明と暗。津名地区も明石海峡大橋が開通するまでの10年間、洲本からの津名引けが起こったと、福谷学先生の津名学の著書に有ります。しかし、架橋後は津名も又、通過交通の過疎の嵐に巻き込まれました。
5町合併は、淡路市を設立し、課題に応えて身の丈に合った地域運営をするための戦術でした。そして、この10年間で、着々とその礎を築いてきました。
山本光学、東洋合成工業、パソナグループ、AIE国際高等学校等の企業誘致。花博跡地に、夢舞台ニュータウン構想の展開により、聖隷淡路病院、24時間営業のコンビニ併設の薬局、製造業を主体とする企業誘致、アニメランド構想等、北の街の姿が出来つつあります。
これで、都市機能集積ゾーンの津名の整備と合わせて、散在する人口分布、地形の課題解決のための二眼レフ的手法整備の姿が整いつつあります。
また、それらを補完するための、インフラ整備も進展しています。県道津名上内善線の塩田拡幅、志筑川放水路整備、県道志筑郡家線都計道路決定、西浦県道拡幅、合併支援道路整備、観光拠点として岩屋地区の再開発、東浦道の駅の整備、津名うみの駅開港など、地形に考慮してバランス配備に工夫しました。
偉大な先人の言動に学び、淡路市が「いつかきっと帰りたくなる街」として、飛翔することを祈念し、この言葉を、偉大な先輩の著書に捧げます。
「義理を尽くし、課題の屈辱に耐えながら、強かに生きる」

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  1. 2014/07/16(水) 14:55:40
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