故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

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晴天の霹靂(惜別の詩)


「君は財政課出身だろう、何でそんなところへ行くのかね?」
予定されていた5町合併の淡路市・市長選挙への立候補報告に伺った時、貝原俊民前兵庫県知事は静かに言われた。
地方の自治体の財政状況は厳しい。その中でも淡路市の財政状況は厳しかった。主な理由は阪神淡路大震災の起債残。所謂、借金である。国はそれも含めて財政立てなおしを命じていた。
「故郷へ帰ります。課題の多い5町の合併、地域の融和を図るためには行政出身の、半分よそ者の私が、今、必要とされていると思います」立ったまま言った私に、力強い声で、
「そうか、頑張れ、応援するよ」と私の手を優しく握ってくれました。
それから数か月後、淡路市の中では一番大きいしづかホール。法的な許可の観点から言えば、ロビー、立ち見を含めても千人程が収容可能なホールが、後にも先にもその時だけ倍以上の人で溢れました。
淡路市を考える会主催、「貝原俊民氏の講演」、実質の門康彦決意表明の会。それから始まった淡路市長、3期二年目の晩秋の神戸で、貝原さんは不条理な事故死に合いました。

最後にお会いしたのは、今年の10月18日、サンシャインホールの音楽祭。
終演後、車までお送りした時、にこやかなお顔で、「これから寿司を食べに行くよ」と私の耳元で囁かれました。
その時の車両が、事故当時の写真として新聞に載っていました。見る限りにおいては、直撃した様子で、即死に近かったでしょう。
自治省キャリアで、三十代の課長職からそのまま県を異動することなく知事にまでなられた方を私は知らない。神戸に生き、神戸に客死す。

知事像として尊敬されていたのは、神戸出身で、最後の沖縄県官選知事、島田叡氏。死を覚悟で葉隠を懐に赴任したその姿勢は、貝原さんと重なります。

頑なな私を認めてくれていた要因は縁。淡路島旧西淡町出身の故板野英彦副知事の存在と、そしてもう一人は、元副知事藤本和弘さん、私の財政課時代の上司。その方々の庇護の元に何とか勤まってきた公務員と思っています。

一期一会、そして縁。
「これを奇貨として、復旧ではなく創造的復興のため、夢舞台プロジェクトは凍結しない」震災後のTM会議で当時の貝原知事は言明されました。
淡路島は大切な人を失いました。さようなら先輩。安らかにお休み下さい。
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  1. 2014/11/16(日) 09:10:32
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