故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦
愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。
淡路島は何処へ ――明石海峡大橋開通に寄せて――
三十年近く前、四国の親戚の老人を病院に見舞った際、「橋は何日架かるのかな、生きて、歩いて淡路へ行きたいな。」と、窓の外を見ながら言っていたのを、鮮明に覚えている。それが可能となった。誰かが、神戸淡路鳴門自動車道、海の見えない直線コースで目覚めたとしたら、自分が淡路島を走行していることを認めるのに時間を要するだろう。
元々、淡路は、阿波への路、と言う事で、淡路島と言われたという説もあるし、その意味では、自然が島にした景勝を、人為的に元に戻したという事にしかすぎないのかも知れないが、ともかく、世界一の吊橋としての迫力が、明石海峡大橋には有る。
架橋構想は、明治二十二年香川県議会議員が、大正三年徳島県選出の衆議院議員が発言し、昭和十四年鉄道大臣永田秀次郎の「永田構想」を経て、昭和三十二年の原口神戸市長の「人生、すべからく夢無くしてはかないません」という言葉に繋がり、明石海峡大橋は「夢の架け橋」と呼ばれた。
文献に残る経過は、このようなものにしか過ぎないが、古来、何年前からかは分からないが、海峡を眼前にして、渡りたいと思った人が、地続きであることを願ったのは言うまでも無いだろう。時折、「何十年来の悲願であった――」というような言葉を聞くが、それは島の人々の感情を無視した無神経な言葉である。
ともかく、今世紀最大のプロジェクトと言ってはばからない明石海峡大橋のプロフィールを紹介すると、建設は、起工式が昭和六十一年四月、開通が平成十年四月五日なので、およそ十二年程かかっている。総事業費は、約五千億円。神戸西ICから鳴門ICまでの総事業費は一兆三千六百億円。橋長は、三千九百十一m。主塔の高さが、二百九十七・二m。
吊橋の長さは、中央支間長で比較されるが千九百九十一mで、これが世界一である。
同じ淡路島に架かっている大鳴門橋と比較すると、実際に走行してみてもよく分かるがそのスケールの違いに驚かされる。
いずれにしても、淡路島は島でなくなった。
平成十二年、西暦二〇〇〇年に母校、津名高校は八十周年を迎える。架橋によって通勤等の定時性が確保され、生活条件が目に見えて変化するまさにその節目に、津名高校も節目を迎える訳であるが、校舎の建て替え問題もさることながら、少子化による生徒数の減、価値観の変化等により、島全体の高校のあり方、また、分校の今後も議論される中での対応を考えなければならないので、前途は多難である。
最近、「大阪ベイエリア新時代」とよく言われるが、かつて、船しか交通手段が無かった時代の視点から、関西国際空港を眼前にし、高速道路が島の中央を突き抜けた今日、淡路がそして津名高校がどう有るべきかを考える視点を持たなければならない。
第三セクター智頭急行の特急「スーパーはくと」が鳥取へのアクセスに革命をもたらし、周辺にまでプラスの影響を与えた事実を直視し、時間の短縮が想像以上のインパクトをその土地に与える事と、一面的な発想に捕らわれない事を肝に銘じなければならない。
今のところ、橋桁にならないかと懸念された淡路島は、来島する観光客等が島内に留まっている幸運に出会っている。予想された事ではあるが、バスの利便性は人々の行動範囲を変えつつある。
そして、そういった事が、開発に繋がりいずれは今以上の公害問題を引き起こすかも知れない。自然の開発と保全の狭間で住人は選択を迫られる。全ての人にとってのプラスは考えられず、全員の賛同を得る事は不可能でどこかで線を引かなければならない。
その時こそ、その地域の良識と文化が問われる事になる。果たして、淡路は耐え得るだろうか。

島が島を放棄した今となっては、新しい社会の構築に努力しなければならない。例えば、下水道の普及率は、県内では淡路島が一番低い。下水道が無くても人間は生きていける。しかし、技術の全てを駆使して建設された大橋から導入する人、物、文化等にその生き様を見せる為には、また、新しい世紀の中で淡路島が新淡路島として蘇生する為には、これからの長い努力の積み重ねが必要になる。一朝一夕には物事は動かない。その礎として、県立津名高校が歴史の中で貢献することが、そして、有るべき姿に導く事が、OBの一人としての責務であろうと確信している。
大橋の開通迄に、私は橋を二度渡った。一度は、吊橋のキャットウォークを歩いて、二度目は、記念体験ウォークで橋を往復した。キャットウォークには高さの、体験ウォークには長さの障害が有ったが、いずれも自分が淡路島の出身であるという事、また、どちらも自分が生きて体験する事が二度とない事が、最後まで歩きつづける事が出来た原動力であった。
島に向かって歩きながら、ふと、亡き母の事を想ったのは自分の老いがそうさせたのかも知れないが、橋の持つロマンが感傷的にさせた事もあろう。
人々それぞれの橋があり、架橋により、新時代が到来した。
二十世紀は、地球にとって戦争と破壊の時代であったとも言われている。まさに、二十一世紀を間近に控え、架橋新時代の意味をそれぞれが真摯に受け止めなければならない。
経済効果の正しい分析、淡路島を訪れる客数等の動向、新たな観光スポットの整備等、課題は多い。
県立津名高校が歴史の一員として、その重みを双肩に担う為に、今この時代、OB現役共に、行動を明確に起こさなければならない。
橋は架かった。風は西から吹き、歴史は西から変わると言われてきた。頭を上げて一歩踏み出そう。
津名高等学校同窓会阪神支部様
平成10年7月
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