故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦
愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。
津名高等学校八十一周年記念講演概要
(一)はじめに
約三十年ぶりに淡路へ県民局長という立場で帰ってきました。
皆さん方の所謂、不肖の先輩にあたります。
昭和三十九年一九六四年卒業の、一五回生です。お婆さんとかお母さんが同級生です。
皆さん方も何回か、こういった形で話を聞かれたと思いますが、恐らくここに立つ事の一番相応しく無い男が今日ここにいると思って下さい。
卒業式の時に追試験を一人で職員室で受けていた男がこうして新しい世紀の節目の年に多様な価値観の存在として招聘されたと思っています。
全校生の前でこうして一人で立つのは、四十年程前、私が高校一年生の時の弁論大会以来です。
その時の演題が「生と死について」といういかにも生意気で難解なテーマであったのと、今のように放送設備が整っていなかったので聞き難いという事情もあり、不評であったのを記憶しています。ただ、弁論部の顧問の先生の評価が高かった事だけが、妙な記憶としてこれも残っています。その時の決めセリフが「死とは長い過程であって特定の瞬間では無い」というものでした。
今日も貴重な時間をいただいた訳ですが、公務員を結果として、三十三年間も続けてきました。私達公務員、特に行政という分野に居る者の話は面白くありません。
原因は明白です。仕事の性質上、地味で変化がありません。また、言っている内容は「自分たちに都合の悪い事は言わない、失敗の経験等は言わない」からです。
また私達日本人には、妙な癖が有ります。話している内容よりも誰が言っているかで評価することです。
これには無理もない事も有ります。人間の話す内容は程度の差こそあれ、たいした違いはあまりありませんから、それならば、何かをなした人の経験を聞く方が為になると判断する人も多いからです。
キムタクやアムロが話すと妙に納得する。それはその人間の持つ付加価値で相手を評価しているからです。
そういう事で、皆さんには退屈な時間になるかも分かりませんが、私の経験では、どのような人の話でも、一つくらいは参考になる事が有ります。自分に参考になる事を一つ捜して下さい。毎日、一つずつ覚えても一年で三百六十五、半分忘れても百八十は、知識となります。そういった観点で聞いて下さい。
今までで、参考になる事を捜す観点で人の話を聞いていて、全く何も無かった事が有ります。その時は、何故そうなのか、考える事で参考になる事がありました。
そしてもう一つ、川の流れは両岸から見なければならないという故事があります。
ニューヨークのテロも地雷の土地を走らされる子供たちの事も各々の世界なのです。
子供に子供の視点があるように、親には親の視点が有ります。
正しいとか間違っているとか、明確に仕訳出来ない部分の視点もあります。
さて津名高の前身は女学校であるから喧嘩に弱いと私達は教わってきました。
しかし、私達の前と後は知らないが、洲本高校や実業にあるいは、三原高校に喧嘩で負けた事は無いというのが、私達の自負でした。
しかし、津名高が今一歩抜け出せないのは事実です。
正直言って、ブレイクした者は残念ながら居ません。
三原には世界にも通じる人形浄瑠璃があり、洲本は甲子園の全国大会で優勝した実績がある。
今また洲本高校に宮地真緒というスターの卵がいる。
八十年を数える歴史の中で、一万六千名を越える卒業生を輩出しながら、残念ながら寂しい現実です。
貴方たちは、素晴らしい宝物を持っています。それは、青春という言葉で表現されている真っ只中に居るという事です。
本当の意味での青春とは、その状況を言うのではなく、心の持ち方の中に有ります。
よく言われるように、青春には無限の可能性が有ります。ですから、貴方たちは今、何物にも変えがたい無限の多様な可能性をそれぞれが持っているわけです。
しかし、可能性は未来の不確定なものでも有ります。
それを現実のものとするためには、貴方たちの地道な努力が必要です。
そうするために情報の共有をこれからしましょう。
淡路島は、昭和六十年の鳴門架橋、平成十年の明石架橋と本土導水により、物理的に島でなくなりました。入り込み数も従来七百万人前後であったのが、いまは千万人を越えここ数年は千五百万人前後で推移されると見られます、従来の倍です。
一方、淡路地域は、過疎、少子、高齢化にあります。
かつて、私達の先輩が、関西国際空港を放棄したことにも原因があります。
繁栄と活況を手放し、過疎、少子化という静寂を手に入れているのです。
帰郷して見たものは、洲本市のさびれ方。カネボーの撤退、ローソン前にたむろする子供たちの気骨の無さです。
方向を変えようではありませんか。

(二)行政の仕組み
自分達にあまり関係が無いと思っている人がいたらそれは大きな間違いです。
行政とか言う表現で言うと、何か難しいもののように感じますが、決して難しいものでも複雑なものでも有りません。
私達が共同で生活していくのに効率的な方法として、行政の組織があるわけです。
いわゆる、公共的なインフラ整備、道路、橋、下水道、ダムなどの建設、維持管理。そして勿論、学校の校舎の建設、そして維持管理。そういった物は、所謂、税金で賄われています。それぞれが、負担出来る範囲でしている訳です。
当然、多い少ないが有る訳ですが、そういった事を整理するのに法律が有ります。
よく、ヤクザも行政も不特定多数から金を巻き上げているのだから同じような物だと比喩的に言われますが、合法と非合法という明確な違いが有る訳です。
そして、そう言った組織の運営を公務員がしている訳です。勿論、先生方もその一員です。
また、その仕組みには、継続性があります。
この学校を建設するのにも、起債という制度が使われています。例えば、建設に十億円かかるとします。その財源として二億円が国庫、一億円が一般財源、そして残りの七億円が起債、所謂、借金でするわけです。その借金は後年度、返済していく訳ですが、それは、その投資がその時期の人達だけが負担するという不合理を排除するためです。
学校は長年にわたって色々な人達が利用するわけですから、皆で負担していこうという観点からそう言った制度が有るわけです。
ですから、皆さん達が意識していようとしていまいとに係わらず、この社会という枠組の中で生活し、当然の事、権利と義務を背負っているわけです。

(三)人口減について
お好み焼き屋で、五十を過ぎた初老の女性が話しました。
「子供たちは三人、皆女で島外で生活している。長女は結婚していて、淡路へ帰って欲しいのだが、帰って来ても働き口が無い」
帰ってきても遊ぶ所が無いし、学校も少ない。魅力が少ないから、盆暮れの帰宅で暫くの田舎気分を満喫してまた戻って行く。
職場は働き口は減少傾向であるから、そうした意味での活路は見いだせない。
極論すれば「カジノ」が特効薬なのだが、法律の問題、倫理観の問題、そして現在の住民感情の問題。余りにもハードルが高く、多過ぎる。
いずれ東京の石原知事に先を越されて、日本に二つなんか臨むべくも無いので悲観的である。
超高齢化の傾向に目を向けて、そういった介護、老人の居宅的産業の振興を計るか、大学等の教育産業の誘致か。
また、宗教はそれぞれの価値観の違いがあり難しい問題を持っているが、そういった施設の誘致とか拡充などしか今のところ考えられない。
さすれば、取りあえずどうするか、価値観、視点を変えて、方法を見直す事がまず第一歩と考える。
量から質への変換。
今まで、島という世界の中にあった価値観を変え、鳴門、明石の架橋と本土導水により物理的に島で無くなった淡路島として再整備しなければならない。

(四)淡路島の今後
明石海峡大橋は、文献では、香川県議会の議員が本四架橋を明治二十二年に提唱してから百十年目にかかった。具体的には、原口元神戸市長が、内務省の神戸土木出張所長をしていた時に発表したとされている。
原代議士が、五十年近く「夢の架け橋」と言い続けて、平成十年四月五日に開通して淡路島は島で無くなった。正確には、鳴門大橋がかかった時からかも分からないが。
過疎化と高齢化の島に、千年に一度と評された大地震が襲った。六十数名の方が一時に亡くなられ、それぞれの歴史が、場所によってはあっという間に崩壊した。
復旧は、仮設住宅に代表されるように早かったが、トータルとしての、島の復旧の姿は今だから言えるのかも知れないが、見えなかった。
完全に地続きになるという事が何を意味するのか、皆さんも「スーパーはくと」という列車の名前を聞かれた方があると思いますが、京都から鳥取まで、大阪、明石、姫路、佐用を経由して、三時間もかからずに、明石からだと二時間ほどで鳥取についてしまう。
これを可能にしたのは、千の頭と書いて、ちずと読む、第三セクターが完成した千頭鉄道である。もともと、鳥取から大阪へ向けて、何とか時間短縮したいという意向は、鳥取県にとっての悲願であったが、旧国鉄が軌道をほとんど完成しておきながら、分割民営化の嵐の中で、廃止路線という事で、橋脚をさらしたままになっていたのを、兵庫、鳥取の共同という事になってはいるが、鳥取県の必死の努力で、第三セクターの設立、在来線との共用というかたちで出発したのだが、結果は、今は、JRの職員達が残念がる程の成功となっている。
それの、意味するものは、何か。
兵庫県の但馬地域にとっての脅威。観光客の流れ。播但線。あまるべ鉄橋。産業。今でも浜坂は、鳥取との繋がりが強い。(買物、仕事、遊び)
大阪という、人口集積地へのアクセス。そして最後は東京への流れ。全てがそうした方向に向いているのだが、そんな流れの中で淡路島が、目的地では無く、大阪、神戸への橋桁になってはいけない。

かつて淡路島に空港計画があった。当時、はやっていた反対運動の結果、今、泉南沖に関西国際空港となって、実をむすんでいる。死んだ子の年を数えてはいけないというが、もし、空港が淡路島に建設されていたら、明石海峡大橋はもっと早くかかっていたであろうし、関連産業により、淡路の経済は素晴らしい発展をとげていたであろう。もちろん、それらに付随する公害問題はおきていたであろうが、今は、騒音公害だけが残りプラス面は対岸にいってしまっている。
関空の空域の見直しが今、議論になっているが、これは、運輸省が珍しく素直に謝っているように、経緯は別にして、理由は明確であり、それだけにどうしようも無い。
1航空交通量の増加フィックス(航空路乗り入れ地点)の限界的交通量
2予測手法の確立コンピューター導入により、三次元解析による問題点の明確化
3運営後の問題点エディポイント(到着機の集合場所)錯綜問題
そういう状況のなかで、二期事業は着々と進んでいる。二〇〇七年には十八万回、二〇一一年には二十三万回となる。
三点セット(空港計画、環境影響評価、地域整備)は、尊重されると言うが、現実に淡路島上空は、出発便で一万フィート(三〇〇〇m)、到着便で七〇〇〇フィート(福良)という現実に直面し、これから永劫、島民はそれとの付き合いをしていくことになる。
今も、反対のためだけの反対をする人達が、勝手なことだけを言っているが、本当に良識があり、子孫に責任をもって係わっている人達が、今こそ自分達の意見を言う時だと思います。
何故、神戸空港の再申請が認められたのか、何故、日本のハブ空港と言われながら、関空は民間空港なのか。
淡路島の人達の意見が聞こえない、見えない、とよく言われます。島を去った者がものを言うと、住んで無い者が無責任に口をきくな、といわれる事がある。確かにそれも一つの事実かも知れない。しかし、そればかりでは島は、ますます閉鎖的になり沈潜していくだけである。
関空の二期事業において、埋立用の土砂が必要になる。既存の土砂採取地として、洲本市由良(日本セメント)、津名町佐野生穂(三菱マテリアル・間組)があるが、結果として認められ無かったが、新規の計画の洲本市厚浜(りんかい建設)岩屋(事業主体未定)南淡町阿万(森長組)もあった。
何千万立方メートルという土砂がまた島から消えると、島はまたその形を変える事になる。それは日本という国の発展の為に必要な事かもしれない。
しかし、言うべき意見は言って、最善の努力をして、最後は総合的な判断の元に選択する。そういった姿勢、スタンスが大事なのではないでしょうか。
一島一市の将来構想も、夢として視野に入れ、これからの淡路を語らないと、紀淡海峡の大橋計画はあるというものの、最近は、還日本海時代という声が大きく、このままでは鳴門大橋の淡路南部の轍を踏みかねない。
淡路瓦、玉ネギ、線香、等特産品といわれているものも、何時までも安心できるものではない。高田屋嘉兵衛とか、北前船、淡路もきら星のごとき歴史がある。
但馬の人が、「これからの但馬の将来は、交流にある。」と言っている。
それでは、淡路は、どうすべきなのか。繁栄の陰には、公害がある。人が住居として住み易い所は、閑静な住宅地といわれる。公共事業をどんどん実施していけば、そこには、必ずある意味での破壊がある。人間にとって便利さとは、また、ある意味で自然の破壊でもある。
どうあるべきか。どうすべきか。そういった事を考える手段を、これから、今まで以上に努力して、捜さなければならない。

危機的な状況は目前に迫っているとも言える。
ネスレ日本(株)広田工場の閉鎖に代表されるように、特に架橋により便利になった事も影響し企業の撤退が目に付く。逆に新しい進入の動きもある。日毎に状況は変化し、正しい答えは無い。
水道の合併問題も身近なものであり、何よりも、市町村合併は慎重に判断しなければならない案件であり、財政問題から合併は不可避の命題である。
そして、花博覧会の後の観光の展開もこれはまさに不透明である。
そうした、危機を打破できるのは、あなた方をのぞいていない。今こそ何らかの形で、行動を起こす時ではないでしょうか。未来の子供達の為に。
平成14年7月
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