故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

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「生家の改築」

 「縁」という恐らく日本人にしか分からない言葉が有ります。平成17年初代淡路市長として、母校・県立津名高等学校の新校舎竣工式に、番匠ヶ丘の校舎で立ち会い、その時式辞を述べた県教育長は、県財政課当時の同僚でした。これも一つの「縁」です。

 淡路市立として第一回の卒業式は、中学校5校、小学校24校全てに市からお祝いに生かせていただくことにし、私は、津名中学校と志筑小学校へ行かせていただきました。

 私は、志筑小学校卒業、志筑中学校入学、津名中学校志筑教場卒業、いわゆる、津名中第一期卒業生です。半世紀近くの後輩達に「淡路島の将来を宜しく」と言うメッセージを贈りました。私達の時代より、人数が半減もしくは三分の一程になった後輩達の内の、例え一人でも壇上で話す私のその言葉を記憶の片隅に持っていてくれる事を祈りながら語りました。同じ第一回卒業生として。

 今、淡路島初めての4年制大学看護医療大学が建っている付近は、私の幼い頃は、全て田んぼで私の生家だけが在りました。今は、ちょっとした田舎の市街地に姿を変えています。

 70年上も前に、父の建てた家は今風の建築様式だったので、リフォームも出来ず、友人達と相談のうえ、改築する事にしました。イメージは「心は少年」。

 山口県の萩に現在でも松下村塾跡があります。その説明文に、「幕末の動乱の時代、時代を駆け抜けた一人の青年が居た。志半ばでこの世を去ったが、彼の魂は明治維新を成し遂げた多くの青年達に受け継がれた」と有ります。

 私もその様な志の万分の一でもと思い、今、ささやかながらメッセージを発信し続けています。「淡路島3市時代の混乱の時、友人達と敢えて火中の栗を拾う。他市とせめて肩を並べる為に、不利な戦いを選択せざるを得ない。10年20年の時間を経ての評価となるだろう。我々の世代では、時間が足りない。淡路市後継者育成塾として、生家に塾の拠点を建設する事にしました。仮称「門下市塾」。
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 このような大上段に構えてみたものの、今、改めて公的責任者としての責務の重さに身の引き締まる思いがします。

 とにかく、市長選挙をこの地に在って、市民型のボランティア選挙で貫いた事は、今でも語り草になっています。

 「なるのが目的ではなく、なってからどうするかを考える」を、「今まで何をしたかではなく、これから何ができるかである」と同じような次元で捉える人が居ますが、それは根本的に違います。子供時代の一過性の行動と、自我が芽生えてからその人間の歴史としての生きざまで培われてきたものとでは、意味が違います。あれから約1年過ぎたある日の早朝、生家の取り壊し中の残骸を眺めながら、これからの淡路市地域の運営を担う事の重大さを再認識しました。

 生家を整理している時に、私名義の一枚の古い感謝状が出てきました。それは当時の志筑町長名で、志筑小学校の災害復旧への寄付金への礼状でした。昭和24年といえば私は、まだ3歳。亡き母が多分、私の名前でしたものでしょう。半世紀を越えて母の思いを届けてくれた一枚の紙。家の改築をするのを母が後押ししてくれているような気がしました。これも、市長選挙という身に過ぎた経験をすることにより、実現したと言えるでしょう。帰宅した時、沢山の方々に助けられて、掃除をしました。そのうちの一人が「この家は、長く保存したいね」と言っておられたのを記憶しています。
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 改築した家も、そんな思いを抱いてもらえる場所になればいいなと期待しています。皆で作る我々の新しい淡路の家、明日への熱い思いを改築する生家に託します。

                   平成18年 津名高校阪神支部報
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  1. 2007/10/28(日) 14:31:27
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