故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

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旅立ち

 これが最後だなと思う時が有る。本当の別れは、死以外に有り得無いのだが、生きていながら、それに近い感覚に囚われる事が有る。都会の繁華街の中で一人ぼんやりと、煌めくネオンを眺めている時、何処までも広がる海原、そして静まり返る山々の中でも、自分が死んでもこの景色はそれからも在り続けるという意識の中でそれは、ふと訪れる。死後に続く永遠の無の恐怖が、そうさせるのかも分からない。
Put a future
 最近の若者は、活字に頼らないと言われている。成程、電車の中で回りを見渡したりすると、漫画と思しき物を恥ずかしげもなく読み耽っている光景を目にする。活字の別れには想像性を必要とする。イメージを創造する労力が要る。しかし、漫画の世界は直接であり、感性だけで対応が可能である。若者が人の話を聞かなくなったとか、自分本位であるとかの原因はそんな所に有るのかも知れない。ただ、そう言った性質は、昔から若者の特権で有ったはずで、今も昔も変わった事ではないとも言える。

 淡路島の一昔前、まだ、船のみが渡航手段であった時代、港々での別れには数々の浪漫が有ったと聞く。単身赴任で来島していたやさ男が島を去る時、送迎の人々に分からないように埠頭の電柱の陰から涙ながらに手を振る妙齢の美人も有れば、中学を卒業して見知らぬ土地へ就職していく少女が傍目もはばからず泣きながらちぎれんばかりに手を振る別れも。

 現代の淡路島には、どう言った別れが似合うのでしょう。架橋によって便利になった反面、島はゆっくりと流れる時間を失ってしまいました。車中から手を振ればしまいである瞬時の別れは、人間関係を希薄にしてしまいます。

 かつてのような形を求める事が不可能ならば、せめて、心だけでも真摯で有りたいものです。それは、例え誰に咎められようと、故郷に対して自分だけはぶれない想いを大切にする事ではないでしょうか。

 今日が無ければ明日は来ない。そして今日が有るのは昨日が在ったから。その都度その都度別れの中で、人々が心の中で醸成した悲しみのメロディーが、又、再会の喜びに昇華されるためにも、ぶれてはいけない。

 故郷淡路からの三度目の旅立ちに当たって、別れの言葉を感謝と共に捧げます。「淡路は一つ、共に夢を見、そして風を起こしましょう」

         まがたま10号 平成14年3月 淡路県民局長
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  1. 2007/10/28(日) 20:57:11
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