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故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

美しい淡路市(島)を目指して

 一葉の写真が有ります。平成17年春、淡路島洲本市民会館の裏、背広姿の中に、ジャンパー姿で、淡路市長候補予定者の私が戸惑うような笑顔で写っています。

 隣に長身の当時は一衆議院議員の安倍晋三現総理が居られました。短時間の懇談の中で「私は美しい淡路島作りを目指しています」と言ったのを記憶しています。

 その言葉が潜在意識として有ったのかどうか分かりませんが、衆望を担って誕生した安倍総理は、その基本方針に「美しい日本」を挙げられました。

 言葉は易しいようで難しい側面を持ちます。

 適切さとはその時代、状況によっても変化するので一概には言えませんが、最近、色々な視点で「美」という字がキーワードになっています。

 マークス寿子秀明大学教授はその著書『日本はなぜここまで壊れたのか』の中で、「日本人が美徳をとり戻すためにとして、金がすべての世の中の考え方が問題で有り、金が無くても家族、故郷、友人が有れば人は必ずしも絶望に陥らない。老人や子供を絶望的にしない社会作りが福祉の基盤として大事な思想である。高齢者の知恵を社会の中で利用していた日本に戻るべき」と説いています。

 又、古い形の美を追究していた故三島由紀夫と、新しい美を一時期創造していた石原慎太郎東京都知事が、伝統的日本人の持っていたものは、「自己犠牲」と意見を一致させていたのを聞いた事がありますが、いずれも最近、薄くなっているものです。相手の立場に立てない日本人、優しさを忘れた日本人。何処へ行ってしまったのか日本人。

 「美しい淡路市」とは、「美しい淡路島」に繋がらなければならない。それが、淡路島一市を唱えてきた一人の責務として、今、在ります。
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 淡路市はこれから何を目指すべきなのか? どこから来て、何処へ行くのか?

 厳しい地域運営を強いられながら、この答えを見つけるのは難しい。

 未来の島民に美しい淡路市を残す責務が、今の市民に有るはずで、それは現在、存在している人達だけのものではないはずなのだが、県職員の時代、何十年ぶりかで高校時代の同窓会が有りました。その時、今の故郷の状況をかつての同級生に説明したらという提案で話をしたのですが、何人の人間が聞いていたかどうか?

 既に、生活基盤を島外に移して、懐かしさだけを共通点として集まっているだけの初老の人間達には、故郷の今日的課題は、意識の埒外でしかなかったのでしょう。だからどうと言う事ではないが、結局は、そこで住み、働き、生活する者たちが、地域を守るしかないという現実に覚悟しなければならない。

 他者に頼る訳にはいかないし、効果も薄い。

 地球温暖化の脅威に晒されながら、比較すれば良好な環境を磨いて観光などによる地域経済の活性化も図りながら、美しい心を持つ後継者を育成する。

 美しい心とは、良好な自然環境の復元により単に視覚的なものだけではなく、心的なものとの融合により美しい淡路市作りを目指し、同時に地域経済の活性化をも図るスタンス、自己犠牲の具体的な表現でもある。

 自然と共生し、「夢は大きく、分は謙虚に」、真に美しい淡路市を目指します。

             広報淡路・市長の部屋 平成19年4月号
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  1. 2007/10/29(月) 19:28:34
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