故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

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津名高校に吹いた微風

 津名郡5町の合併による淡路市の初代市長選挙の相手は、故・原代議士の養子と言われている人であった。素人のボランティア集団では、勝てないと言われながら、最後まで市民型の清潔選挙に徹して勝利を得ました。要因は多く有りますが、大きなものの一つに、津名高校の同窓会の力が有りました。本当の意味で津名高校の卒業生が一つの目標に向かって動いた時ではないかとも言われました。

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 私の家は、元の津名高校グラウンドに隣接した所に在ります。一昔前の事を記憶している方には、武道場と校長官舎の隣の家と言えばよく分かる所です。

 その家の前から、後輩達の姿が消えたのに気付いたのは、4月に入って大分経ってからでした。その頃、丁度私は、淡路市長選挙の為の後援会活動で曜日時間に関係なく活動をしていましたので、世相の事に疎くなっていたからでした。後輩達は、番匠ケ丘の新校舎に通学していたからです。今は、医療系の大学の建設準備に入り工事が進んでいます。

 敗戦から60年、戦後生まれの子供達が初めて還暦を迎えた年、阪神淡路大震災から10年が経過した年、その節目の年に、津名郡5町の合併による淡路市が誕生し、私達の母校が移転改築した節目の年になりました。

 竣工記念式典のテープカットに淡路市の市長として参加し、後輩達に囲まれながら、その記念の年に、新生淡路市の初代市長として私が就任出来た歴史の巡り合わせに、人間の営みの不可思議さを痛切に実感しました。

 それはまさに「その時歴史が動いた」刻の中に、自分自身を認識した瞬間でした。

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 県庁淡路会の会長として阪神支部との付き合いが始まり、幾多の経過を経て、今回の選挙においても、薄木会長を初め多くの方にお世話になりました。この紙面をお借りしまして、心からのお礼を申し上げます。後援会活動をする中で、訪ねた家で「誰某さんから聞いていますよ。お便りが有りましたよ」という言葉にどれだけ勇気づけられたか分かりません。残存率が少ない津名高校の卒業生の、島外からのエールは、強力な武器でした。

 選挙中、常に言っていた事をこの際、申し上げます。

 一つは、悪い意味でのしがらみを断つ事。二つは、特色のある五つの地域をまとめる事を優先する事。三つは、行政能力を他の市並みに高める事。四つは、財政再建の視点から判断する事。そして最後に、選挙違反はしない事。でした。

 その為に、情報を共有し、相互連携しながら、最終は、信頼関係の構築までに至る道程を大事にする事でした。

 そして心無い事ごとに煩わされながらも何とか5月8日の万歳の歓喜の声を聞く
事が出来ました。重ねてお礼を申し上げます。

 さて、私達の淡路市は、平成17年4月1日誕生の184平方キロメートル、5万2千人足らずの田舎の市です。

淡路夢舞台

 6月1日から半年間にわたり、67名による淡路市2回目で最後の市議会が夢舞台の国際会議場で開催されました。私のこれから4年間は、新しい市の構築と、後継者作りの期間となります。皆様のさらなるご支援とこれまでのご援助にお礼と感謝の言葉を紙面を借りまして申し上げます。

 合わせて、阪神支部と津名高校のさらなる発展をもご祈念申し上げます。

           津名高校同窓会阪神支部報 平成17年7月
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  1. 2007/11/09(金) 10:47:25
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