故郷の雨 ――淡路市長―― 門 康彦

愛と正義の政治家、『砂楼の伝説』の著者でもある詩人 門康彦淡路市長の『故郷の雨』ネット版を、順次紹介してゆきます。

正論   洲本講演会メッセージ

 「第二三一回全国縦断正論」洲本講演会が、第十六回正論大賞を受賞された小堀先生をお迎えし、かくも盛大に開催されました事をお慶び申し上げます。
 すでに皆様ご案内の通り、淡路県民局は、現地解決型の総合事務所として新生、出発したわけですが、これは、行財政改革とか地方分権とかの時代の流れを受けたものでもあるのですが、一方で、言われております、参画と協働の実行部隊として私は、県民局がその一翼を担うものと理解しています。

 「権利だけを主張し義務をないがしろにする」「思いやり無く自分の事だけを主張する」「平時の時は威張りちらし、有事の時には逃げ回って責任を取らない」といった風潮が万延し、本来の正論が正論として通用しにくい時代。
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 そして、「全体を見ずに、一部だけを誇大に追求する姿勢」「また、目的のためには手段を選ばない行為」それらを何ら感じずに正当と思う思い違いの感性、それらはまさに正義が正義として評価されない時代をも象徴しています。

 日本古来の美学が正当な評価を受ける当然の世界を創出するために、ここ淡路島から、そして洲本から地域の声として発信するため、新しい世紀の始まりの年に、小堀先生の的確な時代認識に基づくご講演をいただき、県民局、そして淡路地域の住民が、参画と協働の理念にそって、さらなる正論を創出し、議論を深めてまいりたいと思います。

 言葉足らずの祝辞では有りますが、ますますの正論講演会のご発展と本日ご参加の皆様のご健勝を祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。
                                    平成13年6月 ニューアワジ
  1. 2007/10/24(水) 10:04:52
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日本会議兵庫県本部総会   メッセージ

 淡路県民局の門です。

三年目になりました関西サマーエコーキャンペーンスタイルで失礼します。

 出雲井先生のご講演に先立ちまして、この四月から現地解決型の総合事務所として新生出発しました淡路県民局の立場としまして、お礼とお祝いのご挨拶を一言申し上げます。

 鳴門と明石の海峡に架橋され本土導水が実現した事により、この淡路島は物理的に島でなくなったわけですが、便利になったとは言え、やはりいろいろな意味で島的ハンディーは背負っています。

 しかし、そのハンディーキャップが果たして、不利な事ばかりなのでしょうか。

 プラスとマイナスの評価は紙一重とよく言われます。
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 評価はまた、価値観は色々ありますが、関西国際空港の設置をこの淡路島が放棄して、繁栄と発展を放棄した代わりに、少子、高齢、過疎化の静かな環境を今享受しています。視点を量を質に転換しなければならないと言われている現在、市町合併を喫緊の課題としているこの淡路島、神話の島といわれて久しい当地に、出雲井先生の講話がまさに時宜を得たものと実感しています。

 日本古来の美学が、本当の意味での評価を得にくい現代において、この淡路地域がどういった形で将来を創造しなければならないのか、限られた時間の中で判断を迫られています。

 行政も量より質への視点へ転換を計っていますが、住民の参画は、トータルとして量が要求されています。人任せではなく、官主導から民自立の流れに沿い、それぞれが責任を持ち実行していく社会の形成こそ本当の意味での質への転換になるはずです。

 神話の故郷、この淡路島での出雲井先生のご講演に感謝し、本日ご参加の皆様のご健勝と、日本会議の益々のご発展を祈念しまして、ご挨拶とさせていただきます。
  1. 2007/10/24(水) 10:08:01
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市町合併について

1 基本的な考え方
 地方分権は、今の中央集権体制では今後の行政サービスがうまく行かない。限界に達しているというところから始まっている。すなわち、戦後の我が国の繁栄を支えてきた社会の枠組みそのものが構造的に大きく変化しようとする中で成熟社会への流れに沿って本格的に公民共働の時代を迎えている。

 市町合併は、そうした本格的な地方分権の時代を迎え、市町経営のあり方を検討する最大課題となっている。
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  (1)中、山間地域において顕著な、過疎、高齢、少子化、財政基盤の脆弱さ
     *二〇三〇年における人口動向。

  (2)住民の生活圏の広域化。

  (3)高度技術化、情報化スピード対応。

  (4)多様な住民ニーズに的確に対応する必要性。

 そうした事で、今のままの単一の行政区域のままでいいのかという課題の解決が必要。

 地方自治体の制度というのは、国の統治機構としての機関の側面を持つ一方、発生的に見ると、その地域地域の地理的、歴史的条件や住民意識のまとまりとしてのコミュニケーションとしての機能を持っている。

 言われているように、市町村は、基本的に地縁共同体であり、いわゆる、利益共同体、株式会社等は違う。そうした意味で住民の共同体としての意識から離れた市町村は成立しえないという観点から、市町村のあり方は、住民の基本的な判断によらねばならない。

 官主導の社会から成熟社会に移行する過程で民自立と言う考え方も強まっている。官主導で上からの仕組みにより統治機構を作っていくというような市町村がいいのか、住民意識により問題は自分たちで共同して解決していくといった地縁的な組織としての市町村がいいのか、選択する時期であり、今日本は中間にある。

 EUの憲章にある「補完の原則」まず市町といったコミュニティーがまず住民の仕事の世話をし、不足の部分を広域的な県がやりそれでも足りないものは国がやる。という考え方が今後の主流になる。
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 2 市町村合併のあり方について

 時代は視点を量から質に転換することを要求している。行政もまた同じ傾向になっている。しかし住民の参画は、量的支配が重要である。少子化のマイナス面として、教育のサービス過剰がある。子供の数が少ないことが、家庭のみならず学校現場においても、過剰な対応が子供達の自由、自立心を疎外している。

 行政もまた、どの範囲が最適なのか、その基準は難しい。また、何を優先すべきなのか答えは複雑である。淡路地域をひとつのブランドとしてより以上の創造を目指すのは一つの選択肢であることに異論は無い。しかし、そうでなければという決定理由は不明確である。そうであるとしたら、段階的合併は方法論として有益であると言える。

 合併は改革のチャンス、しかし下手をすると単なる混乱に陥る。また合併後の明確なビジョンと行動指針が無ければ、コンサルの絵だけに終わる。
                                           平成13年8月
                     ――津名ロータリークラブ メッセージ――
  1. 2007/10/24(水) 10:17:52
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第二十一回心の生涯学習セミナー  メッセージ

 第二十一回(財)モラロジー研究所淡路地方心の生涯学習セミナーが、かくも盛大に開催されました事をお慶び申し上げます。

 すでに皆様ご案内の通り、淡路県民局は、現地解決型の総合事務所として新生、出発したわけですが、これは、行財政改革とか地方分権とかの時代の流れを受けたものでもあるのですが、一方で、言われております、参画と協働の実行部隊として私は、県民局がその一翼を担うものと理解しています。

 視点の変換。量より質。

 「権利だけを主張し義務をないがしろにする」「思いやり無く自分の事だけを主張する」「平時の時は威張りちらし、有事の時には逃げ回って責任を取らない」といった風潮が万延し、本来の正論が正論として通用しにくい時代。
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 そして、「全体を見ずに、一部だけを誇大に追求する姿勢」「また、目的のためには手段を選ばない行為」それらを何ら感じずに正当と思う思い違いの感性、それらはまさに正義が正義として評価されない時代をも象徴しています。

 日本古来の美学が正当な評価を受ける当然の世界を創出するために、ここ淡路島から、そして洲本から地域の声として発信するため、新しい世紀の始まりの年に、小堀先生の的確な時代認識に基づくご講演をいただき、県民局、そして淡路地域の住民が、参画と協働の理念にそって、さらなる正論を創出し、議論を深めてまいりたいと思います。

 言葉足らずの祝辞では有りますが、ますますの心の生涯学習セミナーのご発展と本日ご参加の皆様のご健勝を祈念いたしまして、ご挨拶とさせていただきます。
                                    平成13年10月 洲本市民会館
  1. 2007/10/24(水) 10:20:45
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南淡町立浮体式多目的公園竣工式  メッセージ

 南淡町立浮体式多目的公園の竣工式にあたり、お祝いの言葉を述べさせていただきます。

 昭和六十年の鳴門架橋、平成十年の明石架橋、そして本州からの導水により、この淡路島は、物理的に島でなくなりました。

 従来の観光入り込み数は、六百万から八百万を推移していたわけですが、鳴門架橋時に初めて千万人を超え、明石架橋時には、二千三百万人を数えたわけですが、それからは、他の例にならい、減少傾向で、これからの傾向は不透明ですし、宿泊客は減少傾向であり予断を許しません。

 また、ご案内の通り、過疎、少子化、高齢化の傾向は今後も続くと思われます。

 こうした現状の中、そのアイデァと実行力で、リーダーとしての資質を高く評価されている、森南淡町長さんの、英断でもって、実行されたこのプロジェクトは、甲子園球場のグラウンドの半分以上もあろうかと思われる、メガフロートの発想は、まさに時宜を得た事業であります。
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 島に島を造るという発想の転換は、視点を量を質に転換しなければならないといわれている時代の流れの中でも際立っています。

 淡路島地域をコーディネートする立場で新生しました淡路県民局におきましても、こうした動きに、直接、間接に支援し、また、参画と協働の理念にそってともども事業の推進に努めてまいりたいと思っています。

 最後に、本日ご参集の皆様のご健勝、南淡町の益々の発展、そしてなによりも、このメガフロートのプロジェクトの成功をご祈念いたしまして、お祝いのご挨拶とさせていただきます。

 おめでとうございました。
  1. 2007/10/24(水) 10:24:04
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風土工学委員へのメッセージ

 風土工学懇話会の委員をお引き受けいただき有難うございました。それぞれが忙しい毎日を過ごされておられる事を承知の上でのお願いでした。

 しかし、今までとは違った方法で、そして兵庫県では初めての試みというこれまでに無い私達、行政人としては、ある意味での冒険にチャレンジするわけですから、委員の選任に当たりましては、細心の注意を掛けました。
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 今後の淡路島の地域戦略、イメージ戦略のメンバーとしては、私は、ベストの体制が出来たと思っています。「言い過ぎの県民局長」と多くの場所で顰蹙を買っている私ですが今回だけは言い過ぎとは思っていません。

 皆様方もそれぞれの視点、価値観、そして美学を展開されて、懇話会が盛り上がるよう遠慮なく発言をしていただきたいと思っています。

 さて今、淡路はまさに「その時歴史が動いた」という刻に在ります。市町合併という将来の人々に多大の影響を与える大事業で有ります。

 敗戦後、十年程たち所謂、「昭和の大合併」という官主導の合併劇が有りました。その当時、島の先輩達は淡路島での空港建設を放棄しました。そして今、私達は騒音、公害、活性化等を失った代わりに、過疎、少子、高齢化の静寂を享受しています。

 それから、十年後、日本の島の中で唯一有りました鉄軌道「淡路鉄道」が廃線になり、また、十年後には、各種の学校建設が盛んな頃、私は島を離れました。

 そしてその十年後に鳴門海峡大橋の架橋、その丁度十年後に阪神淡路大震災が起きました。それからの淡路は明石海峡大橋の架橋により、飛躍的な変化を遂げ今が有ります。しかし、洲本市に残っていた二軒の映画館の内の一軒が廃館になり、過疎の動きは加速しています。

 過疎、少子、高齢化が何が悪いのかと言う意見も有りますが、今の私達が次世代に何を残す事が可能なのか、その命運を風土工学懇話会が握っています。

 取りあえずのお礼とご期待を書面にてさせていただきます。宜しくお願いします。
                                            平成14年7月
  1. 2007/10/24(水) 10:26:31
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新生淡路県民局の行動理念について

 「関西国際空港が淡路島に建設されていたら」と後ろ向きに眺める姿勢が、今の淡路には必要なのではないか。評価は難しい。しかし、繁栄発展を放棄した代わりとして、過疎少子、高齢化と静けさを手に入れいている。多様な価値判断、視点によって物事の判断をしなければ、人類の航路を間違える事になる。党利党略に捕らわれるといった狭少な行動理念では無く、志を高く、具体的に行動する事が今求められている。そういった観点から、行動の枠組を紹介します。
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 新生淡路県民局の一年はまさに瞬く間に過ぎました。

 明石海峡大橋の架橋、本土導水の実現等により、淡路島は物理的に島ではなくなり、神戸地域までのアクセスの所要時間は、ほぼ平均一時間以内になりました。

 一方、シンガポール、神戸市と同じ面積を擁しながら、過疎、少子、高齢化の流れは加速しています。あるシュミレーションによると平成四十二年、二〇三〇年には、島内人口は十三万人台になり、六十五才以上の人口比率は三十二・一%と予測されています。ほぼ三人に一人が高齢人口になるわけです。平成二年の十四才以下の年少人口比率十八%と高齢人口比率十八・九%を境にしてその較差が開いて行くばかりですから、自明の理であります。

 そうした状況の中で、平成十二年三月に淡路公園島憲章を制定し、住民の参画と協働のもと、淡路地域ビジョンの推進が計られています。「淡路の持てるもの、仕組みの読み替え、内発的発展と独自の尺度作り、人と環境との係わりについての新たな選択」を理念とし、目標を「人と自然の豊かな調和を目指す環境立島・公園島淡路」としています。それは、花一杯の美しい島を創るだけでは無く、当然の事では有りますが、地域住民が「受益に応じた負担」を自己決定する責務も伴います。

 そうする為に、量から質への視点の変換を必要としますし、何よりも、多様な価値観を柔軟な視点で見直す姿勢が大事です。

 県民局の現地解決型総合事務所化は、そうした時代背景に対処する為に必然的に設置されたものでも有ります。

 平成十三年度は、県民局が本格稼働する為の準備期間で有りました。器は変わっても中身は変わらない、の例えに有るように、組織が改変され縦割り行政の弊害である線と点の行政を面的な総合事務所にしても、働いている職員の意識が変わらなければ何も成りません。長く続けてきた仕事の方法を変える夢は、非常に努力を要します。

 その為に、内外に関わらず、会議を多く持ち、議論の機会を広げ、何よりもPRに努めました。語りかける事、一歩を踏み出す事が今年の理念でした。
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 平成十四年度は、環境立島・公園島の創造に向かって具体的に施策の展開を図ります。県の一般会計が、震災復興によるイレギュラーな年度を除いて初めて対前年より減額予算となる状況の中で、地域の特性を生かし、地域戦略の推進施策を展開します。

 ●全島広域連係の自転車歩行者道の整備推進
 ●淡路ため池保全隊の設置
 ●淡路菜の花エコプロジェクト事業実施
 ●緑条例、環境形成区域案の検討調査
 ●風土工学的手法によるイメージ戦略モデル調査
 ●淡路地域ツーリズム振興事業推進
 ●淡路地域津波災害対策事業推進
 ●住民の参画と協働事業(地域運営支援モデル、森作りの推進)
 ●個別事業(ワールドカップ支援、景観園芸学校園芸療法プログラム開設、県立津名  高校改築、県立佐野運動公園整備)の推進

 平成十五年度は、環境整備事業として、河川、港湾の浚渫事業、家畜糞尿の処理施設整備事業、環境立島にそぐわしい美化事業の展開、エコエネルギーの研究、淡路島リゾート整備の見直し等、を検討模索して行きたいと思っています。

 いずれにしても、環境立島・公園島淡路として、地域が自立し、後世に胸を張って伝えることが出来るよう、理念を高くそして行動を具体的に展開するよう心がける積もりです。皆様の同志としてのご協力ご支援をお願いいたします。
                                      IOGーNEWS   平成14年7月
  1. 2007/10/24(水) 10:32:07
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淡路文化会館に望むこと

 淡路文化会館が開館した昭和四十七年、グァム島から天皇の兵士が帰還し、戦争を知らない子供達が浅間山荘、テルアビブ空港で戦争ごっこを繰り広げた。以来、大鳴門橋、明石海峡大橋の架橋により島内外の移動時間の短縮は、その価値観と視点を微妙に変えた。そして、敗戦直後、二十三万人を数えた島の人口は、空港計画の挫折や鐘紡洲本工場の閉鎖により、過疎、少子、高齢化への加速を強めた。

 文化は、人の数だけ有ると言われる。さすれば、淡路文化会館は、十五万八千弱の価値観を有する事となる。静かな景観に恵まれたその佇まいは、自然の懐に抱かれた侘びと寂の優位性に守られている反面、やはり過疎、少子の現実にも直面する二面性を有している。その多様性を克服した時に、文化会館の新たな未来が開けるような気がする。それは、淡路島という風土の中に存在する宿命でもある。
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 幾多の人材を輩出しながら、淡路がその文化圏を確立出来ない原因の一つに温故知新の感性の欠如が有るように思える。嘗て「淡路に文化は不毛」と先輩達が自嘲を込めて表現したシャイな美学を誤解してはならない。今こそ、この三十周年を期に、文化だけでも淡路は一つという正論の感性を希求する先兵になる事を望みます。

 今、淡路は、大きな時代の変革期に遭遇しています。茶髪にサングラス、くわえタバコに携帯電話をかけながら片手運転でたんぼ道を疾走する若者達。一方、伝統の文化を守る若者達、そして、将来の淡路の為に市町合併を議論するリーダー達、それぞれが、その価値観で今を生きています。人は一人で生まれて来て一人で死んで行く。その間の生き様が大事で有ると言われる。詩で言うところの、行間の密度である。

 これだけの自然のストックと可能性を持った文化会館が核となり、新たな展開を発信する事が、今、真の意味で必要とされているのではないでしょうか。

 歴史を動かすのには、目に見えぬエネルギーを必要とします。また、地道な人知れぬ努力の積み重ね、そして継続の力も大事です。バラバラの人材を集積し、明日に向かって一歩踏み出す勇気を記念の時に期待します。

 三十周年、おめでとうございました。
                                           平成14年11月
  1. 2007/10/24(水) 10:34:42
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宅建あわじの更なる飛躍を

 新たな年の始まりに当り、改めましてお祝いのご挨拶を申し上げます。貴協会淡路支部が中村支部長のリーダーシップの元に益々発展されん事を何よりもご祈念申し上げます。

 さて、この小文が皆様のお目に留まる頃、淡路島は市町合併の形を明確にしているはずです。また、そうでなければなりません。

 地勢的に見て、淡路は島でありながら島で無い特質も兼ね備えていました。それは単に地続きでは無いという事で島と称せられ住民がそれに甘んじていた事と、阪神圏域二千五百万人と言われる人口集積の付加価値を持っていた事です。リゾート法のある意味での成功例と言われる三例の中、北海道、沖縄に続いて入っている、そのストックを今こそ私達は、活かさなければなりません。
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 島外資本の流入、医療系大学設置の動き、高齢化社会に対応するケアー産業のプロジェクト、そして小中学校の統合問題、ソフトとハードが微妙に関連した事業が動き始めています。また、淡路の緑に映える山々が想像以上に危険に瀕している事、そして土取り跡地の広大な空間の利用の可能性が非常に薄い事など、眼下の敵に私達は結構、無頓着でいます。特効薬としての活性化対策が無いならば、この変革の時代に在って、共感という人間古来の原始の方法で、地域造りをしようではありませんか。共感が昇華されて信頼に繋がり、ともすれば忘れ去られようとしている日本の美学である島国根性をもう一度見直そうではありませんか。

 宅建あわじのメンバーがプロフェッショナルとしての矜持を盾に団結する時、淡路の地に新しい風が吹く筈です。冬の厳しい風の後に吹く、優しく暖かい春風を目指して、皆様方の行動を期待しています。本年も宜しくお願いいたします。
                                              平成15年1月
  1. 2007/10/24(水) 10:37:43
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「まがたま」に託す言葉

 「勾玉」の姿は、淡路島に似たものが多い。そして古代の装身具と、神話の島と称せられる「おのころ島」の香りは、奇妙な調和を奏でている。

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 同人誌「まがたま」の由来を私は知らない。淡路県民局に赴任して間もなく、届けられた作品に初めて触れてその存在を知りました。島内に限らず県外にまで広がる人の輪の繋がり。固定されていない多彩な経歴の人々の話題は、それらの作品を通じて新たな地域社会を形成し、継続されて行く中で、歴史の重みさえも創世される。勿論、執筆者の努力に因るところ大きなものがありますが、この地、淡路島という象徴に集約されるところも深いのではないでしょうか。淡路島に関わった人としての自己証明が、「まがたま」という作品群となって華開き、新たな世界に昇華され、そしてまた、淡路に還る。

 歴史の節目という奇遇に恵まれた今、その存在証明を淡路島という一つを契機として益々発展される事を「まがたま」に託します。
                                        まがたま第九号 平成14年3月
  1. 2007/10/24(水) 10:40:16
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故郷淡路に降る雨

 私が、関西大学文学部への進学を選択したのは、一人の先輩の言葉からであった。「関大には千里山文学という活躍している同人誌が在る」当時、確かに関西で芥川賞候補に最も近いと言われていた関大文芸部を千里山文学の同人であるという表現で、気概を持って自己紹介する事が有った。その言葉を贈ってくれた先輩はもう故人であり、そぼ降る雨の志筑の乗合自動車停留所で「何になっても良いが、やくざにだけは成るな」と送ってくれた母も居ない。

 亡き母、門ミユキは、津名保健所で長く保健婦として勤務しており、今でも私をミユキさんの息子として認識する人が多い。秀才の姉と滅私奉公、共励会の会長としても努めた母を持っている事で、私を過大評価する人も居る。敢えて訂正はしないが、気恥ずかしく感じる事が多い。

 私が目指したものは、文学、詩人の世界であったが、同時に武道も学び、所謂文武両道を価値判断の上位に置いて生活してきたが、最近体力の衰えを知るところとなり、武闘派の自負を閉じる事にした。

 公務員として結果的に母が希望した職業につき、定年も近づいて来た年に生涯の拠り所であった矜持の旗を降ろす事の意味するものは何なのか、自問自答する最近の日々である。

 小学生の通信簿の通信欄に先生から「几帳面、潔癖すぎる」と評価された私の性格に気付いた人から、「川の流れは両岸から見なければならない」と教わり、実感として認識する事が出来たのもやっと最近である。
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 相手の立場に立つ難しさや、思いやりの心は、その人間の生き様から生まれる。「人間の価値は、死ぬまでにどれだけの人と出会ったかで決まる」とも言われる。それはまさに、人の歴史、生き様の事に他なら無い。全ての人に好かれようとは思わないが、嫌われる事は極力避けたい。これは、さほど難しくない事である。人からされて嫌いであった事を自分がしない事で大半は達成される。それと、理不尽なものに耐える度量を持つ事だと思う。つまらない相手とおなじ舞台に立つと駄目である。

 志は高くそして謙虚に生きる。不惑の年を遙かに過ぎて、辿り着いた一つの個人的基点であります。

 さて、淡路島にこれからどんな雨が降るのか。敢えて文化圏と言うならば、伝統文芸の三原、市街地連担の洲本、唯我独尊の津名と言った所か。象徴として言うならば、当然、淡路は一つの島であり、外的と対峙する場合は力強い味方である。しかし、島内においては、時には手強い敵にもなり得る。田中長野県知事は、「都会から見て長野は田舎として売らなければならない。自然を壊す公共事業は不要」と言われる。その表現を聞いていて或る事を思い出した。田舎の遺産相続に都会から権利を主張して財産を得、墓の守りは田舎に居る者に押しつけ、休みには帰郷して面倒も見させる。その地に住んで居る者の視点が欠落している。人気という意味不明の仮面を被った道化師と同じ舞台の故郷作りをしてはならない。

 刻、所、違っても故郷に降る雨は母なる大地を育むもの。そして同じ香り。
                                                 平成14年7月
  1. 2007/10/24(水) 10:43:29
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兵庫・神戸のタウン情報誌センター

 本日は、センターをお送りいただき有難うございました。
 故郷に二十七年ぶりに帰郷、雑俳というものを知り、「運不運、秀やん俺と同い年」という素晴らしい作品の感性も知り、今更ながら淡路島の文化の奥深さに感心している次第であります。文化不毛の地とは、逆説の奥床しさではなかったでしょうか。また、貴誌の中で、松平陽子さんの「低くなった敷居」が興味深かったです。

 さて、鳴門と明石の海峡に架橋され本土導水が実現した事により淡路島は物理的に島で無くなった訳ですが、便利になったとは言え、やはり色々な意味で島的ハンディーを背負っています。

 しかし、そのハンディーキャップを逆手にとって、これからの淡路島をどういった形で創造していくか課題は多いです。今後共のご指導等宜しくお願いします。
shizuki river
 また視点を量を質に転換しなければならないと言われている現在、市町合併を喫緊の課題としている淡路島で、どういった枠組で臨まなければならないか、自分の故郷だけに色々と迷いが有ります。

 日本古来の美学が、本当の意味での評価を得にくい現代において、この淡路地域をどういった形で、将来を創造しなければならないのか、限られた時間の中で判断を迫られています。

 行政も量より質への視点の転換を計っていますが、住民の参画は、トータルとして量が要求されています。人任せでは無く、官主導から民自立の流れに沿い、各々が責任をもち実行していく社会の形成こそ、本当の意味での質への転換になる筈だとは思うのですが。
 「川の流れは両岸から見なければならない」という故事に学び、謙虚にそして自然体で故郷を考える事が重要だと思っています。取りあえずのお礼を書面にさせていただきますが、またこちらへも気楽にお立ち寄りください。

 これからも厳しい季節が続きますが、今後とものご活躍をご祈念しています。
                                                 平成13年11月号
  1. 2007/10/24(水) 10:46:13
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神話の故郷の自由な風と矜持

 希薄ではあるが確かに吹いていた自由と矜持の風。それが津名高校のいわばスタイルであった。太平洋戦争敗戦の年に生まれた子供達が入学した年、第二室戸台風が襲来し、淡路町の新町役場の位置問題で全国異例の処置で分町、飛地合併の措置が取られた。高校生活波乱の幕開けではあったが、のんびりとした校風は悠揚として揺るぎが無かった。

 津名中学校が統合されるまで、志筑小学校、志筑中学校、そして津名高校と小中高が隣接してあり、野球、サッカー、陸上、そしてテニスのクラブ活動が混在しているグランドの北側に自宅があった。隣が校長校舎、その隣が武道場で道路を一跨ぎすれば学校という環境の中で、子供の頃から津名高校の歴史を垣間見てきた印象は、潮風の香りと緑。
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 三、四才の頃、裸で、自宅に飼っていた山羊を津名高校のグランドで散歩させている姿を当時、高校生であった姉が見たという程の田園風景が広がっていた学校であった。これと言う確固たる成果を要求される校風では無く、勝手気儘に近い自由と根拠の無い矜持を育むような大らかさに満ちた気風があり、その中で子供達は大きくなった。当時、進学の嵐が吹き始める最初の頃で、進学優先の独りよがりの試行錯誤の結果、卒業必修の追試験を職員室で受けていて、卒業式に出る事が出来なくても、我一人行かんという大らかな風が校舎を静かに流れていた。何者にも屈せず、あれほど気骨であった自由人の少年達も不惑を遙かに過ぎて、この千年期の節目の年に今一度の飛翔を祈念する。諸君、明日に向かって一歩踏み出そう。
                                            平成14年7月
                ――県立津名高校昭和三十六年~三十九年――
  1. 2007/10/24(水) 10:49:14
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淡路島は何処へ ――明石海峡大橋開通に寄せて――

 三十年近く前、四国の親戚の老人を病院に見舞った際、「橋は何日架かるのかな、生きて、歩いて淡路へ行きたいな。」と、窓の外を見ながら言っていたのを、鮮明に覚えている。それが可能となった。

 誰かが、神戸淡路鳴門自動車道、海の見えない直線コースで目覚めたとしたら、自分が淡路島を走行していることを認めるのに時間を要するだろう。

 元々、淡路は、阿波への路、と言う事で、淡路島と言われたという説もあるし、その意味では、自然が島にした景勝を、人為的に元に戻したという事にしかすぎないのかも知れないが、ともかく、世界一の吊橋としての迫力が、明石海峡大橋には有る。

 架橋構想は、明治二十二年香川県議会議員が、大正三年徳島県選出の衆議院議員が発言し、昭和十四年鉄道大臣永田秀次郎の「永田構想」を経て、昭和三十二年の原口神戸市長の「人生、すべからく夢無くしてはかないません」という言葉に繋がり、明石海峡大橋は「夢の架け橋」と呼ばれた。

 文献に残る経過は、このようなものにしか過ぎないが、古来、何年前からかは分からないが、海峡を眼前にして、渡りたいと思った人が、地続きであることを願ったのは言うまでも無いだろう。時折、「何十年来の悲願であった――」というような言葉を聞くが、それは島の人々の感情を無視した無神経な言葉である。

 ともかく、今世紀最大のプロジェクトと言ってはばからない明石海峡大橋のプロフィールを紹介すると、建設は、起工式が昭和六十一年四月、開通が平成十年四月五日なので、およそ十二年程かかっている。総事業費は、約五千億円。神戸西ICから鳴門ICまでの総事業費は一兆三千六百億円。橋長は、三千九百十一m。主塔の高さが、二百九十七・二m。

 吊橋の長さは、中央支間長で比較されるが千九百九十一mで、これが世界一である。

 同じ淡路島に架かっている大鳴門橋と比較すると、実際に走行してみてもよく分かるがそのスケールの違いに驚かされる。

 いずれにしても、淡路島は島でなくなった。

 平成十二年、西暦二〇〇〇年に母校、津名高校は八十周年を迎える。架橋によって通勤等の定時性が確保され、生活条件が目に見えて変化するまさにその節目に、津名高校も節目を迎える訳であるが、校舎の建て替え問題もさることながら、少子化による生徒数の減、価値観の変化等により、島全体の高校のあり方、また、分校の今後も議論される中での対応を考えなければならないので、前途は多難である。

 最近、「大阪ベイエリア新時代」とよく言われるが、かつて、船しか交通手段が無かった時代の視点から、関西国際空港を眼前にし、高速道路が島の中央を突き抜けた今日、淡路がそして津名高校がどう有るべきかを考える視点を持たなければならない。

 第三セクター智頭急行の特急「スーパーはくと」が鳥取へのアクセスに革命をもたらし、周辺にまでプラスの影響を与えた事実を直視し、時間の短縮が想像以上のインパクトをその土地に与える事と、一面的な発想に捕らわれない事を肝に銘じなければならない。

 今のところ、橋桁にならないかと懸念された淡路島は、来島する観光客等が島内に留まっている幸運に出会っている。予想された事ではあるが、バスの利便性は人々の行動範囲を変えつつある。

 そして、そういった事が、開発に繋がりいずれは今以上の公害問題を引き起こすかも知れない。自然の開発と保全の狭間で住人は選択を迫られる。全ての人にとってのプラスは考えられず、全員の賛同を得る事は不可能でどこかで線を引かなければならない。

 その時こそ、その地域の良識と文化が問われる事になる。果たして、淡路は耐え得るだろうか。
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 島が島を放棄した今となっては、新しい社会の構築に努力しなければならない。例えば、下水道の普及率は、県内では淡路島が一番低い。下水道が無くても人間は生きていける。しかし、技術の全てを駆使して建設された大橋から導入する人、物、文化等にその生き様を見せる為には、また、新しい世紀の中で淡路島が新淡路島として蘇生する為には、これからの長い努力の積み重ねが必要になる。一朝一夕には物事は動かない。その礎として、県立津名高校が歴史の中で貢献することが、そして、有るべき姿に導く事が、OBの一人としての責務であろうと確信している。

 大橋の開通迄に、私は橋を二度渡った。一度は、吊橋のキャットウォークを歩いて、二度目は、記念体験ウォークで橋を往復した。キャットウォークには高さの、体験ウォークには長さの障害が有ったが、いずれも自分が淡路島の出身であるという事、また、どちらも自分が生きて体験する事が二度とない事が、最後まで歩きつづける事が出来た原動力であった。

 島に向かって歩きながら、ふと、亡き母の事を想ったのは自分の老いがそうさせたのかも知れないが、橋の持つロマンが感傷的にさせた事もあろう。

 人々それぞれの橋があり、架橋により、新時代が到来した。

 二十世紀は、地球にとって戦争と破壊の時代であったとも言われている。まさに、二十一世紀を間近に控え、架橋新時代の意味をそれぞれが真摯に受け止めなければならない。

 経済効果の正しい分析、淡路島を訪れる客数等の動向、新たな観光スポットの整備等、課題は多い。

 県立津名高校が歴史の一員として、その重みを双肩に担う為に、今この時代、OB現役共に、行動を明確に起こさなければならない。

 橋は架かった。風は西から吹き、歴史は西から変わると言われてきた。頭を上げて一歩踏み出そう。

                                     津名高等学校同窓会阪神支部様
                                                平成10年7月
  1. 2007/10/24(水) 10:59:56
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母校の移転・改築を迎えて

 三十年ぶりに母校を正式訪問した。事もあろうに在学生への八十一周年記念公演「故郷へ帰って」という演題で講堂に立った。当然の事、八百人の生徒のうち最後まで起きていてくれたのは何人か? 少しでも理解してくれたのははたして何人か? 厳しいものが有りました。

 後輩達に伝えたかった事は、川の流れは両岸から見なければならない柔軟な視点と、相手の言っている事を漠然と聞くのではなく、理解しようとする積極性と、懐の深さを持った態度で聞く事。また、ともすれば、他校に押されがちなムードを打破する事。

 そして、行政というものは一過性のものでは無く、表面上は、どう見えようと、継続関連する全体の事業であり、それ故、今の自分に関係無いと思っている事も、将来においては確実に自分達の事として関係してくる事。

 さらには、今、淡路地域にとって最重要課題は、市町合併である事等であったが、私が発信した小さな種が、例え何人しか居無くても、受け取ってくれて、小さな芽でも出る事を願って語りました。
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 私達の時とは違い、今の優秀な生徒達は、後輩の故を持って暫く付き合ってくれたわけですが、しばしの休養になった者も居たみたいで、機嫌良く送ってくれました。

 退屈な話を誰かがするのも義務の一つでしょう。自分に言い聞かせながら講堂を後にしたわけですが、その講堂、校舎も、数年後には無くなる事を思い感傷的になりました。

 校舎等は、第二グラウンドが有る番城ヶ丘で、早ければ平成十七年頃、完成する予定です。海を見おろす校舎へ通う生徒達の為に、環境整備をする事、それが、先輩と言われる同窓会の一つの大きな責務ではないでしょうか。

 同窓会館の建設、生徒達が通いやすい通学道路の新設、そして桜の木を中心とした、環境に配慮した植樹等、一つ一つの小さな努力の積み重ねにより達成したいものです。

 同窓の有志の行動力に期待するものですが、故人の力は弱いものです。団結した組織力、それが時代の節目にあって、津名高同窓会に一番求められているのではないでしょうか。

 形在るものは、何時かは消えます。しかし形の無いもの、伝統というようなものに代表される姿無き存在、それ等は永遠です。そうしたものがより完成に近づいた時、風土という、千年の歴史を必要とする文化が、その地域を代表するものを形成するはずです。

 新しい校舎と共に始まる新しい津名高を、力を合わせて創造して行きたいものです。

                                             津名高同窓会会報
                                               平成14年8月
  1. 2007/10/24(水) 11:05:00
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